口実となし追出す工夫をする。これ一種の惨酷な殺生である。しかし今日の戦争の世の中、多くはかかる結果に立至るものである。ゆえにこの旧式の年期小僧の制度を改めて、すべて雇人制度となし、初めよりその年齢と手腕に応じて給金を与え、その幾分を主人の手許に預けることにして、他日のために備えしめ、一方には商法に関する一般の知識を涵養せしむるように監督をなし、そうして相当の理由ある時には何時にても自由行動を許すことにしたならば、主人たる義務も尽したこととなり、また主人の負担も軽くなることである。この方法を採用するに特に注意すべきは、店員はたとえ主人と異なった業を営なむこととなっても差支ないように、日頃商売の呼吸というものを充分呑み込ましておくことを決して忘れてはならぬ。
 ある牛肉屋に雇われたる一配達夫は、無意味な配達をしている間に、大いに悟るところあって僅かの貯金を資本にして開業した。しかし主人と同業ではなく、玉子屋であった。またある商店に雇われた若者は、ただ僅か数円の金をもって菓子の行商を始めたが、いまなお盛んに同商売を持続している。この二人はすなわち年期小僧でなく、雇人制度を実行する主人の下で働いたものであるが、主人の得意をすぐって自分の得意とすることが出来た。これも平素誠実に働き充分信用を得ておいたからであって、ほとんど無資本でしかも主人と異なった商売をして、立派に成功したのである。これに反してある粉問屋に七八年の年期を終えて、ようやく一人前の若者となった人があった。主人は若干の慰労金を与えていうに、お前は開店しても決して我と同業を営んではならぬ。よろしく他に商売を求めよ。それで若者はやむを得ず白米屋を開業したが、米を識別する鍛錬がなかったのと資本の薄いために、たちまちにして失敗し、今はどこに潜んでいるか影さえ見たものがないという。

    職人小僧は如何に導くべきか

 従来の職人は実に忌むべき癖を持っていた。いわゆる職人根性とて、一種の痼疾となっているものである。すなわち労働時間と休み時間の区別なくて、甚だ自堕落で横着なのである。仕事にとりかかっているのに、煙草吸うては手を休め、またそのうちに仕事にかかり、またしばらくして煙草を吸う。かくの如くにして半日で終らすべき仕事もわざわざ一日を費すのである。つまり職人自らこのくらいの仕事をなせばよいのだときめ込んで、ただ時間を消すことのみ考えているらしい。しかしこれというのも必竟するに、主人たる者が彼らを待遇する法を誤っていたからで、これひとり職人の罪に帰することは出来ない。むしろその責めは主人が負うべき筈である。いったい今までの主人たる者は、朝から夜まで工場で手足を動かしていさえすれば、仕事は進まずとも満足するし、勉強して早く仕事を仕上げて休息すると職人が怠っているものとして甚だ機嫌がわるい。かようにせずして毎日の日課を定め、これを終えざれば徹夜してなりと仕上げよと厳重に申し渡して実行せしめる代りに、もし仕事を早く片づければ、半日で済んでも公々然と休めるというふうに仕向けるべきである。そうすれば職人達も従来の職人根性は出さないで、精々働くものである。当店の職人なども初めはこの職人根性であったため、甚だ不愉快を感じ、また不都合であったけれども、待遇法を改めて以来全くこの弊風は止んだことを喜んでいる。
 また店員を使うに、その人の長所短所をよくわきまえて適当の仕事を与えなければ、彼も我も甚だ不愉快なばかりでなく、不得意である。甲は外交的役割に最も適し、乙はまた店番として商品整理や客扱いに成功し、丙はまた集金に妙を得ているという如く、必ず他人の及ばざる長所を誰しも持っているものである。そこで主人として大いに注意すべきことは、店員の長所短所を心得て事務を執らしめざるべからざることはもちろんであるが、主人の手加減一つで本人を片輪的の、融通のきかない人物としてしまうことが往々ある。これを我が店員について見るに、店の部を受持っているものは製造のことはいっこう趣味を持たず、時々御得意から菓子の製造など問われて答に窮する者もある。また製造部にいる者は店の営業に興味を持たなくなる傾きがある。すなわち客に接するのを面倒がり、あるいは仕入れのことを念頭におかなくなる。ただ終日麺棒を握って粉と砂糖にまみれ、そして月々の給金を貰って満足するようになるが、従来の職人はみなこれと同じ模型のものであって、ただ職をおぼえるだけで商法というものを呑み込んでいないから、いつまで経っても職人でパン屋へと渡り歩き、四十五十の下り坂になってもいまだ家を成さず、妻子を持たず、依然職人として使役される者が沢山ある。ゆえに我々は店員をしてかような弊に陥らしめざるよう種々苦心しているが、その方法の一つとして製造部いわゆる職人見習いの小僧どもを、一週間に幾回ずつか必ず行商に出してやることにきめている。彼らは初めは思い悩んで、この行商を苦にする風があったが、よく職人と商人の区別を説ききかせ、強いて行商に出してやる習慣をつけたが、いまではよほど興味をもって勇んで出て行くようになった。

    主人と雇人の食物

 近来主人の食物と雇人の食物の区別について相当考えている人もあるようであるが、ここに心づかれたのは至極結構のことである。しかし我々から言えばこの問題を改めて考え、しかも何らかそこに矛盾を感ずるなどは、了解に苦しむところである。
 人はいう。主人は一家の最上の地位にあるもの、また義務責任も重大であるから、従って心遣いも多く、ゆえに三度の食物も他の家人よりは滋養に富むものを採らなければならないと。それで妻君はことさらに夫のために毎夜酒肴を備え、歓待至らざるなしの有様であるが、これは一つの口実に過ぎず、主人とともに妻子も美味をとるのである。
 自分は新来の女中に奥のおかずは何に致しましょうと、奇怪な問をたびたび受けた。また出入りの八百屋、魚屋は初めはことさらに、これは奥のもの、これはお勝手向き、と区別をつけて、その日の用の有無を尋ねるのであったが、これをもって見れば、多くの家では家人と雇人の食物に等差があるものだということが想像される。甚しきは肉なり魚なりを家人の分だけ用意し、小僧女中等の分を買わず、子供の食い残しかまたは昨日の煮物のおあまりを台所の隅で頂かせる家もあるように聞いている。これは小商人及び給金取りのいわゆる屋敷風の家庭に最も多いとのことである。これに反して昔風の堅気の商家では、旦那を初めとし、番頭小僧女中ことごとく三度の食事はみな同一の粗食を取っている。されど時々主人家族は用事に托して外出し、料理屋に入り、日頃の渇望を充たすのであるが、小店の主人やお屋敷の如く、雇人の前に御馳走を見せびらかすような罪つくりはしない。粗食の結果は雇人どもは毎夜店を閉じて眠りに就く前、そっとまぎれ出て軒下のおでん屋あるいは横町の屋台ずし一品料理など、暖簾の内にもぐり込みてせわしく頬張り、あるいは主人の用を帯びて外出した時に、また朔日十五日の休みにめいめい好み好みの飲食店に入って、これも日頃不平を鳴らしている腹の虫を抑えつけるのである。かく双方でかくし食いするは甚だ面白からぬもの、総じて雇人はとかく心ひがみ易きもので、一家ことごとく同じ食物を与えられるのを目前で見ながらも、主人の箸が象牙で、茶碗[#「茶碗」は底本では「茶腕」]汁椀も蓋つきのものを用いていれば、同じ味噌汁香の物であっても何となくうまそうに見えるものである。まして目の前に主人のみ酒肴を供えて、小僧等にはおあまりのみでは実に堪ったものではない。ある富豪へ嫁入した婦人から、一つの述懐談を聞いたことがある。この婦人が輿入れ[#「輿入れ」は底本では「興入れ」]した当時は万事につけて何となく遠慮勝ちで、三度の食事も充分に食べ得ない。さりとて雇人どもの手前もあるから、菓子の買い食いも出来ないで、始終空腹を我慢して居った。それゆえ下女が毎朝お釜を洗う時、釜底にへばりついているおこげやお櫃についている僅かの飯粒を、手で掬い上げては口に入れるところを見て、実にうまそうで下女の境遇を羨んだことがあったと。家族の一人である嫁の資格でありながらなおこの如くである。いわんや下女小僧の境遇、さもしい心の起るは当然のことである。彼らの最大苦痛は仕事の多いのでなく食物の不充分なことである。ゆえに主人たるものはよろしく小僧の意中を察して、家族の一員として相応に働きいることなれば、食物だけは特別御馳走はしなくとも、家族一統平等に腹一杯与えてもらいたきものである。否当然そうあるべきもので、これをせぬ主人は非道不法の者と称すべきである。

    店員の容貌と商売の繁栄

 世には男子の顧客をひきつけるために、美人を店先に据えておき飾り物とする人がある。一時は何屋の何子とか何店の内儀さんだとか、娘だとかいって、大騒ぎされるが、美人必ずしも店の繁栄を来すものとは限らない。かえって漁色家連の間に引張りだことなって、その結果嫉妬のため店の妨害をされることが沢山ある。ある店の娘さんは絶世の美人だという評判で学生間にもて噺され、自分なども女ながら好奇心に駆られて、わざわざ糀町の寄宿舎から本郷台まで見物に出かけたことがあるが、この店は娘のきりょうを鼻にかけるのでもあるまいが、主人を初め小僧番頭揃いも揃って無愛嬌でつんけんして、客に向って甚だ不親切であったが、果して今日はあとかたもなく潰れてしまった。男女にかかわらず、美女美男だから客をひきつけるのではなくて、つまり福々しい愛嬌のある人が客に応対して成功するものである。要するに人に快感を与えるのであって、世の中には醜の部に属すべき容貌でも何となく人になつかれ好かれる人があるものである。どこを取り立てていうことは出来ないが、一種のチャームを持っているのである。富豪大倉喜八郎氏の成功は実に彼の福相によると人はいうが、さもあるべきことと思う。当店の店員中にも容貌秀麗というほどではないが、小綺麗でちょっとの目に立つ男があった。商家に養育され商法は一通り心得ているので、一部の行商を受持たせたが、いっこうに成績があがらない。何故か今までの得意は離れてしまい、売上げが半分以上減少した。我々は驚いてその原因を研究したが、これ全く彼の容貌が、人に一種の不快を与えるによることが判明した。彼は如何なる容貌を備えていたかというに、前にもいう通り、小綺麗な男振りであったがふくよかさを欠き何となく冷たく、そしてちょっと形容の出来ない厭味があった。また言葉が明快でなく、気がついてみれば我々にしても決して彼から愉快な感じは受けていなかったのである。従ってお得意ではいっそう不愉快に感じられたに違いなく、それで彼の行商を取り止め、別の者がその持ち場を廻ることにした。これはまだ十五六歳の少年で、商売にも馴れず、まだ店の品目代価さえも覚えないくらいの新参であったが、現に前の店員よりも好成績を得ている。この小僧は特にお世辞はいわない。また安売りして客をひきつけるというような策があるのでもないが、顔がまるまる肥っていて、一種の愛嬌があり、誰しもこの小僧にはちょっと言葉をかけて見たくなるような気がするのである。しかしながら福相につくろうとしても人工で出来るものでなくまた幸い出来たところが人工であるから不自然である。つまり客に対して商売以外に親切正直であるよう、この心掛けあってこそ自然口から愛嬌も出て顔容も福々しくなるのである。

    商人の自尊心と商業の快味

 店頭からオーイ姐さんパンを二貫だけおくんなと怒鳴り込む車屋さんの意気もとくと呑み、やたらにお前よばわりをし給う八字髯様の横柄さ加減も見馴れ、お客様というものはすべてこうしたものと覚え、かえってものやさしくいたわるる時は有難すぎて勿体なく、きまり悪しきこともあるが、時には勘忍袋の緒も切れるかと思うこともある。
 我が店員の一人、ある家に御注文伺いした時、毎度有難うという。商人が客に対して捧呈すべき御挨拶を言上せしところが、当家の御主人わざわざ台所へお顔を出さ
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