番を呼べば、二人で結構まに合うものである。
これは、結局、女中は十二時まで起きているべきものだと、女中を奴隷視しているからである。
私の話が主婦の友の六月号に八頁ばかり出ていましたが、それを見た、柏木の茣蓙《ござ》など売っている店の主婦が私に会いたいというので会ってみた。
すると、婦人の言うのには、私の所では私と小僧と二人で商売をしていまして、主人は学校の校長をして、商売のことはいっさい関係していません。小僧は高等小学卒業したのを直ぐ連れて来て、いま二十二になるのですが、時々私が油断をすると、売上げをごまかすこともあるし、また使いにやると、三十分の所を二時間も二時間半もかかるし、私が店にいてお客さんが来ると、おかみさんが出たらいいだろうというような顔をしてぐずぐずしている。まことに困ったものです。あれを良くするには、どういうふうにしたらよろしいでしょう。ひとつ意見を聴かして頂きたいといって来た。
そこで私は、その小僧は何時から何時まで働くかと訊いてみた。すると、朝早く起きて、晩は十一時ぐらいまでは働かせると言う。休みはありますかと訊くと、主人一人、小僧一人で休みはやれないと言う。月給はどのくらいやりますかと訊くと、昨今、だいぶ役に立つようになったから、月に十円やっていると、こういう話である。
待遇を考えよ
それは、私から見ると、小僧はちっとも悪くない。あなたが悪い。こういったところそんな筈はない。私は悪いことはいっさいしないし、小僧をいじめたこともないし、出来るだけ親切にもしているつもりであるとの答えである。
しかし、実際においては、一つも親切にしてないじゃないか。第一、休みを一つも与えないで、毎日十五六時間も働かせれば、どんないい子でも機嫌よく「はいはい」といえるものではない。それで、用足しに行った時が僅かに息をする時だから、三十分のところに二時間かかるのは当り前である。
これは一人あなたの所だけでなく、他の店の小僧だってそうだ。野球でもある所に行くと、自転車が五十台も百台も並んでいる。試合を二勝負ぐらい見て帰って、なぜおそくなったと問われると、自転車が衝突しましたとか、あるいは集金に行ったところが、人が留守で待っていましたとか、いい加減な口実をもうけて結局みている。これは休みをしないから、そうするよりほか仕様がない。
また月給もそうだ、二十二になって、あなたの店ではあなたより役に立つだろうと言えば、ええ外なんかいっさいそれにやらせていますと言う、それならあなたの店の半分も背負っているのも同じじゃないか、それに休みは一つもやらず、月給十円はあまり安すぎる。あなたの店は損をしていますまい、と言えば、
「ええ、十年間、五千円の貯金が出来ました」「それでは相当の店じゃないか。もっと待遇をよくしなければいかん。あなたの親切が足りないからということになる。ことにあなたはインテリだから、その小学校きりしか出ていない小僧さんに対して、本当の同情を持っていない。教育のないおかみさんなら、あなたよりもっと温かいと思う。おっかさんに仕えているという気持は、その小僧にはないと思う。それは、あなたが主人として一つもその小僧さんに対して真の同情を持ってないからだ」。
と、まずいろいろと説いて聴かせたが、その人は少し不足に思って帰っていった。
すると、それから三日ほどたって来て言うには、
「私は三晩ねむれませんでした。よく考えてみると、自分の都合だけで使って、なるほど、親切も足りなかったと思います。自分の悪いということが分りました。分りましたが、しかし、どうすればいいかということは解りません。どうかそれを聴かして下さい」
と言うから、
「私もそういうふうにあなたが解れば話も出来る。この間話そうかと思ったが、あなた自身に悪いことが解らんうちには話しても無駄だと思ったから、話さなかった。どうです。あなたのようにインテリな方と、何も教育もないおかみさんとは、小僧にとってどちらがいいと思う」
と言った。すると、
「教育のない隣のおかみさんを見ると、一人の小僧を、まるで自分の子か弟のように可愛がっているのに、私は主人でずっと上にいて、小僧をいつも下に見ていました。隣の小僧より家の小僧が不幸でした」
と言う。
「また、あなたは、雨の降る日お客が来ないからというので、私の所へ話しに来られたが、その雨の降るひまな時に、なぜ小僧に休暇を与えないか、それがいけない。雨が降るからひとつ今日は活動でも見てこいよ、と小遣いの一円もやれば、どんなによかったかしれないじゃないか」
「その活動も芝居も見てはいけない、と私は言いました。」
「それじゃ、うちでは誰も親切にはしてくれないし、外では活動も見られないということになると、小僧は小遣いをごまかして、へたな女でも引張るということになるのは当り前ですよ。」
十五時間も十六時間も小僧に仕事をさせるのは無理で、朝の仕事が一通り片付いたら、余り早く朝廻ると、お得意で迷惑するから、一時間、手紙を書くなり、本を読むなり、勝手にしろと言えば、どんなに小僧は喜ぶかしれない。午後も御用を訊いて来たら、一時間休ませれば、小僧の働きぶりが違ってくる。また雨が降れば休ませる。今日は雨が降ったお蔭で一日暇が貰えたということになれば本当に満足する。給金も二十二になれば相当役に立つから、十円では少ないと思う。」
すると、
「あなたの所はいくらやる」
と聞くから、二十二には四十四五円くれていると言ったら、へえーと驚いていた。
食べ物はどうかと言うと、悪いと言う。
「食べ物が悪くて月給が四分の一じゃひどい。私の所は、働く時間は十時間で、月三回休みがあり、お客様が黒山のようになっていても、自分の時間になればドンドン帰ってしまう。帰って野球する者もあれば、ハイキングする者もある、将棋をする者もあるし、それは自分の勝手である。だから、あなたの方で言うことを聴かんというのは、あなたの方が悪いのだ」
と話してやった。
そしてどのくらいの売上げがあるかと聞いてみると、月によって違うが、二百五十円から千円はあると言う。
「すると、私の所で四十円やっても、あなたの所で四十円はやれないだろうから、月給十円の外に歩合をやれ、初めだから百分の一くれたらいいだろう。
すると、閑な月には二円五十銭、忙しい月には十円の歩合がはいることになる。そうすれば、働く小僧も張合いがあるということになる。そして、毎日少しでも休みの時間を与え、雨天の日は公休日とし、小遣いも三四円にして、あとは貯金させるとか、芝居や活動も、なるたけ性質のいいのを教えて見せてやるということにしたらいいじゃないか」
こう、私は言ってやった。
「じゃ、これからそうします」
と言って、帰って行きましたが、ひと月ほどすると手紙が来て、教えられた通りにやったら、とても朗かになって、返事ぶりはいいし、お使いから早く帰るようになったといって来た。簡単な事でもいまだ行届かないところ、気付かないことはあるものである。
将来への希望
私の店でしている事は――今ではまだなっていないが、私は自分の店の商売経営が、出来ることなら、模範的に、むしろ芸術的に、世界のどこにも負けないものにしてみたいと思っている。
私は、ヨーロッパの商店を視察して来たけれども、ヨーロッパではそんなにひけ[#「ひけ」に傍点]はとらないと思って居る。アメリカの方が月給がいいし、待遇がいいので、アメリカも視察したいと思っているが、米国は月給はよほど余計にやっているようだから、その点大いに及ばないと思っている。
日本でもかなり理想的にやっている所が、大きな会社などにはありますが、小売店というものは案外、今までそういう点を注意していなかったらしい。小売店に働く青年でも、三井三菱に働く青年でも、青年には変りはないので私は小売店に働く店員は、三井、三菱に働いている青年と同じ待遇を受けても不思議はないと思う。
休みは、週末にしたいと考えている。休みをあまり多くすると、遊ぶことを覚える。従って、小遣いも余計いるということになるが、たしかにそういう誘惑もあると思う。
だから、まず休みの時間を最も有意義に使う習慣をつけないことにはいけないので、一躍週休にすることはさけて、学校も建てていろいろやっている。
例えば、習字の先生を招いて習字を習わせている。そして、各寄宿舎に大きな三尺角の机を渡す。すると、全部の者が習字するようになった。従って、技を競う関係上、外へも遊びに出ず、一生懸命になってやる。
また、算盤を教えると、だいぶ上手になった。私は、どちらかというと算盤は得意の方で、みんなが算盤をやるとき、自分も一つやってやろうというので、私の算盤がいつも標準になるくらいである。ところが、半年、先生に算盤を教えさせたら、今では少年の方が私よりも上手になってしまった。
この間も先生が来て、私は商業学校のほかに五ヶ所ばかり数学を教えているが、算盤はお店の子供が一番出来がいいと言うから、あなたはお世辞を言っては駄目だ、と私が言うと、お世辞ではない本当だと言う。
あるいはそうかも分らない。向うは学科がいくつもあり、算盤はどっちかというと軽蔑されている。私の方は学科はいくつもなく、算盤に興味をもってやるので、上手になるのは当り前である。向うは一週間に四五時間だが、私の方では一週間に僅か一時間で、しかも半年で、向うの二年ぐらいに追いついたというのだから面白いではないか。
店員は家族
今は家族的に団欒は出来ない。というのは、二百七十人ほども店員があるので、三十人以上だと顔が分らなくなるし、三十人ずつでも、八回から九回あつめねばならないからである。それも昼間は出来ないので、どうしてもうまく行かない。
それで、何とか工夫しなければならないというので、店の喫茶室をあけて三つに分け、ちょうど十五六人ずつ三回にした。宅では弁松の弁当を取って食わしたが、今日は中村屋のカレーライスをやろうというので食べさせた。訊くと、店員の半分ぐらいは食べてないという。店《うち》の者がうちの食べものを知らないでは困るからというので食べさせたら、非常に喜んだけれども、もう九十人になると、宅へ来た時のように、いろいろ名乗るわけにもゆかないので、一利一害がある。
自分の所は、前に述べたおかみさんの話ではないけれども、よほど気をつけないと、主人と下に働くものが上下になり勝ちである。主人はお父さんというようにならなければならぬ。私の方からは、雇人ではない家の子である。子供が二百幾人あるという気持でなければ、うまく行かない。その気持を徹底させるために、いろいろと研究している。
食べ物などは、私の家より店員の方がよくなっている。うち[#「うち」に傍点]の伜は洋行してから食べ物が贅沢な方だが、店に行けば必ず店員と一緒の物を食べる。我慢するのでなく、うち[#「うち」に傍点]の女中が拵えた物より店の物の方がおいしいのである。私は店では滅多に食べないが、それでも時々は食べる。
それから誕生祝いなどあって、昨日入店した者でも、誕生日なら今日は誰さんの誕生日というので、幾らか違った御馳走をする。
初め百人ぐらいのうちはよかったが、人数がふえると今度は毎日になる、毎日では珍しくないので、そこで、今日と明日と並んだら、今日ふたり分やる。そうすると、三日に一度ぐらいになる。
また一人の時と、二人あるいは三人、四人一緒の誕生日の時は御馳走をかえる。例えば、一人の時にエビフライなら、二人の時は、それより上等の刺身にし、三人の時は果物を一つつけるとかいうことにし、三日に一度ぐらいずつ、今日は誰さんと誰さんの誕生日ということにした。
そんなことは何でもないことであるが、みんなが家《うち》では誕生日なんかしてもらったことがないのに、ここへやって来てやってもらえると喜んでいます。誕生祝いは何でもないが、自分というものが認識され、尊重されるという気持、私はそれでゆ
前へ
次へ
全33ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング