の主人としての修業は問題とされていないように見受けられますが、これは如何なるものでありましょうか。
 支那では、帝王学というものがありまして、帝王の位に上られる御方は、特別の修養を必要とされ、必ずこの帝王学を学ばれることになって居りました。
 我が日本におきましても、畏くも天皇の御位に登らせられる皇太子様は、同じく帝王学を修めさせられ、常に御徳を磨かせられると承ります。
 ところが世上一般においては、人の下に働くものの心得はよく教えられ、またその修養を怠らぬ人も少なくないのでありますが、人の上に立つものの心得を教えるということはきわめて稀で、多くはその必要を気づかずに、ただ資本さえあれば、誰でもすぐに主人になれる様に考えていると見られるものであります。しかもこの主人たるの修業はなかなか容易なことではありません。これをなおざりにしていては、人の上に立ち、人を率いて行くことは出来ないのでありまして、何を致すにも主人自らまず大いに学ばねばならぬのであります。
 総じて成功した工場や商店を見まするに、それらはほとんど例外なく、自然にこの主人学を体得した人々によって指導せられた結果であることを発
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