外として、普通の人間では僅々数年の間にすべてのことを洩らさず修業を積むということ、実に至難のわざである。これに反して二流三流の小店に入る時は、主人と共に販売のために経営苦心をなし、ある時は店番と配達を兼ね、ある時は工場へ入りて製造方の手伝いをなし、あるいは使いにもかけ出して行くという如く、万遍なく己が手足と知識とを働かすゆえに、自然経済的思想が緻密になり、いつしか商売の道のようなものを会得して、これがまた他の商売にも利用が出来て、非常によき修業となるものである。ゆえに商業を見習わんとする世の子弟またはこれが父兄たる者よろしくこの辺に注意して、将来の方針を誤らしめざるようにすべきである。
書生上りの職人
総じて書生上がりの細脛を使いこなすことは、実に容易なことではない。彼らはただ文字の上から労働神聖を謳歌するに過ぎずして、とうてい実行の人たることは出来ない。せっかく空想を捨て、着実な職業を学ばんとした決心は殊勝であるが、彼らの心底には(恐らく自分にも心づかざるべし)なお職業というものを一種の軽侮心をもって視るゆえに、労働に従事しつつ馬鹿馬鹿しいとの念が失せることなく、その職
前へ
次へ
全330ページ中298ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング