国人のみが我物顔に振舞って、日本人が片隅に小さくなって居たのがだんだん活発になり、運動に、水泳に、内外人間に少しの隔りもなくなり、和気靄々[#「靄々」はママ]として国際的の空気を出して来たことは全く日本服の賜でありました。
船がイタリアのナポリ(ネープルス)に着いた時、独逸のハイデルベルヒに留学中であった長男と娘が出迎えてくれましたので、早速娘にも裾模様の着物をきせて歩かせました。
その後パリのオペラにも日本服で行きましたが、彼の地の貴婦人等はダイヤモンドの飾りのついた高価な服などを着て居りましたが、その美人連も裾模様の日本服の前に顔色なしでかわるがわる来て、奇麗だ、美しいと云って褒めました。
外国の家庭を訪問する時など特に日本服が喜ばれました。ハンガリーに行った時の如きは、同国人が東洋人種である関係から、非常に日本服を愛好して居りますが、私等が日本服を着て行ったお陰で、彼方此方からお夕食の招待を受けて、ことわるのに閉口したくらいで、やむを得ず二三個所に招かれて行きましたが、日本服がとても歓迎されました。
デンマーク[#「デンマーク」は底本では「デーマーク」]の農家を訪問した時
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