一通りは揃うのである。他の商売と異り、仕入のコツというようなものがあるのではないから、地方出身者の仕事としては、まず着手しやすいであろう。
四、薪炭商
田舎人は大概自分の郷里から多少の薪炭が産出せられ、またその代価が東京の小売相場に比較して廉価な所から、これを東京に運搬して販売したならばはなはだ利益が多いだろうと考え、着手した人も随分多い。しかし現在東京人の間に使用される薪炭の種類及び産出地はすこぶる複雑なもので、我々素人のとうてい想像も及ばない事もあるのである。すなわち薪はおもに常陸、野州から来るもので、普通各区において使用されるものである。炭は会津より来るものが多く、伊豆紀州から来るものは品質が最上で、かつ水利のある所から、日本橋、京橋、新橋等の地に専ら使用されるものと、昔からほとんど定まっているので、これらの品を使い馴れた人々は、決して他から来る下等品を用いない。また野州炭や常陸産を用いている人は伊豆や紀州辺の上等品は決して使わない。こうして東京の得意は少しくらい値の安いのに動かされるものではないから、田舎のポッと出の人がむやみに郷里の薪炭を売りつけんとしても、つまり買手はないのである。但しこの薪炭業も、仕事が比較的簡単で店飾りというものもないのであるから、素人としては着手し易い商売である。その代り利益もきわめて薄い。その売上げ利益は平均一割にも当らぬものである。ただ相場の騰貴する前、敏捷に立ち廻って、いわゆる見込買をしておく時は、一割五分ないし二割を儲けることもあるが、これは資本の裕かな人で融通のきく人でなければならない。普通問屋から日々注文のものだけを仕入れて来て小売する人は、一把の薪一俵の炭をも労を惜しまないで、遠く隔っている得意へまで配達することによって、初めて幾分の利益を得られるのである。それも創業時代には決して雇人などをおかず、遠回りは主人自ら配達し、近所は主婦も受持って届けるくらいの決心と実行がなければ、とうてい成り立つものではない。自分の知っているある勤勉な薪屋さんは、年中五時から仕事にかかって、夜は十一時まで夜業をし、そして主人初め、家族、雇人総勢京橋のある河岸端から新宿、下谷、本郷のかけ離れた場所まで配達し、精限り根限り働いて、それでただ生活して行くだけであると云う。競争の激甚な東京で、無事に生活するというその事が、実に容易のことではない。必死になって人一倍働かねば、実際生きて行かれないのである。
五、パン店
これも素人好きのする商売であって、ことに女の内職としてはこの上もない適当な仕事である。ある悪口屋は痛罵して曰く、パン屋の内儀さんは大概妾であると。たしかに一部を穿った真理である。実に女子供にも容易に出来るのと、資本も三四百円もあれば開店できるので、同業者夥しく、同町内にも数軒より十軒くらいの多きに及ぶ所も、店にはガラス瓶や缶詰等の商品を見事に飾り立て、白熱ガス燈でも点ずる時は、ピカピカテカテカ輝り返して外観すこぶる美わしいけれども、物には裏表のあることを記憶せねばならぬ。妾的婦人が小綺麗に扮装して美しく磨き立てた店に鎮座ましませど、儲かり過ぎて綺麗にしているのでは決してない。たとえ僥倖にして成功したところが、自分一人の食料か家賃の幾分を補うくらいが関の山であって、店の売上げをもって家族を養うことはとうてい出来ない。多くは半年一年の内に食い込みとなって、店を人手に譲り渡すのである。自分は開店以来僅か数年を経過しただけであるが、この間に取引せし小パン屋約三十軒余であったが、今なお現存している店は、塩煎餅を製造してパンを副業とする店と、食パンを製造して菓子パンをかたわら売るという店と、ただこの二軒が残って続いて営業しているのみ、その他は屋号こそ旧のままなれど、店主は何代か変っているのである。まことに心細いことではないか。
いったいパン屋なるものはきわめて金高の少ない薄利な商売であって、卸しの割合は二割から二割五分増しを通例とするが、これがすなわち純正の利益とはならぬ。この内から袋代を払い、ガラスの器物の破損をも償い、また菓子パンのローズとして売物にならないものが出来てきて、かれこれ損害の分を差引き、平均一割の儲けとなればごく上出来である。こうして普通受売屋の一日の売上げ二円より三円五六十銭を普通とし、四五円を得る店は甚だ稀れである。かりに五円の売上げと見積って一ヶ月の利益僅か十五円に過ぎぬ。以上は受売パン屋の内情を少しく述べたものであるが、これより製造の内幕を開いてみよう。但し食パンの製造は素人にはちょっと手の出せる事業ではないから省略することにした。
いったい何でも製造ということは、素人目には非常な利益が多いように見えるものであるがその実全くこれとは反対である。何故な
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