をやって聞かして居る。椅子なども非常にゆったりした肘かけ椅子など実に立派なものを置いてあります。この椅子によりかかり、音楽を聞きながらコーヒーを飲んだり、菓子を食べたりして居る心地は素敵なものです。
パリの大通りに行くと商家の半分はカフェーであるかと思われるほど、夕方から夜おそくまで、何千人あるいは何万人の人々がこれらのカフェーにはいって遊んで居る。
ロンドンの有名な喫茶店にはいって見た時のことですが、なんでも高価なのには驚きました。
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コーヒー 五十銭 (昭和三年の物価比準)
アイスクリーム 七十五銭
チョコレート・アイスクリーム 一円
サンドウィッチ 一円 (二円の物もあり)
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これはうっかり食べられないと思いましたが、隣りの人やその他の人々を見まわしたところ、たいがいはコーヒー一杯くらいで三時間も四時間も平気で音楽を聞いて居る。
そこで私は職業上の立場から計算を立てて見ましたところ、なるほどこの立派な椅子にかけさせ、音楽をきかせて、しかもコーヒー一杯で三時間も居られたのでは、一杯のコーヒーを五十銭に売ってもまだ足りない。自分の胸算用では決して儲っていないと考え、その後土地の人にきいて見たところ、果せるかな私の見込み通りで「この向う角のコーヒー店の如きも昨年から店をしめて居ますが、まだ借り手がありません」との事であった。
日本より三倍四倍も高い金をとっても、一杯のコーヒーで三四時間も居られたのでは、さすがの喫茶店も廃業するに至るのはあたりまえで、他の立派な喫茶店も内幕は中々苦しいようでありました。
公園が賑うのも喫茶店の繁昌するのも同じ理由
しかしどこの喫茶店も大入満員で繁昌して居ることは事実です。よって私は繁昌する原因と、繁昌しても儲からない原因を研究して見たのであります。
前にも話しました通り、彼方の家はたいがいアパートメントになって居ります。日本に出来ているアパートメントの多くは各部屋が事務所に使用されて居りますが、彼方ではその蜂の巣の様な各部屋を住宅として、沢山の人が住んでいるので、各階の各室とも窓が二つくらいしかない。錠前付の出入口が廊下に並んでいて、何百何十号という部屋番号が付いていて、はなはだ殺風景な有様でありますので、さすが物質文明に慣れて居る人々も一日中こんな家の中にはいられない。そこで外に出て伸び伸びとした気持を味わうことになる。従って喫茶店にはいるといった具合で、喫茶店は大入り満員となる。しかも早く家に帰っても仕様がないので、寝る時間になるまでここに居ようという心理状態になるのだと思いました。
だから喫茶店の繁昌することはおびただしいが、喫茶店の方ではさほどに儲らない訳であります。
西洋では公園が至るところに沢山ある。その公園へ行ってみると、大勢の男女で賑って居ますが、これを今言ったように牢屋のような所にばかり居られないので、公園にでも行く、一人で行くよりもお隣りの娘さん、但しお隣りといってもお隣りの部屋、また上もお隣り、下もお隣りですが、その娘さんなど誘ったりして公園の散歩としゃれる。そして一緒に散歩してくれた駄賃にコーヒー一杯ぐらいおごるというふうになります。
それを日本の人が見て、日本には公園がない、大いに西洋におくれて居ると騒ぎ出したので、東京にも多くの公園が出来た。しかしその公園は子守っ子が遊んで居るのみでいっこう利用されない。先年の大震火災に際して初めて公園もお役に立ったが、公園設置の根本の意義はそんなものじゃなかったのであります。
すなわち、日本においては中流以上の人はたいがい自分の家に庭があり、縁側があり、心地よく休息が出来るので[#「出来るので」は底本では「出来るで」]、無理にお隣りの娘さんをコーヒーで誘って公園に出かけなくってもすむのであります。
鶏小屋だと思ったら人間の小屋だった
また、ロンドンだのパリだのの郊外に行くと、五十坪か六十坪ぐらいの畑の真ん中に三畳敷ぐらいのバラックが何百何十と並んで居る。私は初め汽車の窓から眺めてずいぶん沢山な鶏小屋があるものだと驚いたが、皆な人間の小屋であることをあとで知りました。これも蜂の巣式の家に住って居る都人士のくつろぐ場所で、土曜から日曜にかけて遊びに行く小さな別荘なのでありました。
日本には外国のような大建築もないが、またこんなチッポケな別荘もない。彼らはその郊外の小さな別荘に行って花を作るとか、作ってある苺を摘んで食べるとかして一日をたのしく遊ぶのであります。そういう家が幾千となくある。これらも窮屈で殺風景な部屋に住んでいる結果として、必然的にこんな流行が生じたの
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