に心から感激し己れの非を悔いるとともに、この君ならでは……馬前に死すという忠節を致したのである。ところが信長のように怒髪天を衝いて真正面からその非を荒立てて責めるというやり方では、結局本人の反感を激成するばかりだ。ついには家来のために殺されるというような破目にもなるので、この叱言ということは些細のようだが大切なことである」
「支店を絶対に出さないという主義はどういう理由です」
「中村屋が支店を出さぬということはべつに深い理由はないが、小売商過多の業界へ支店など出来るだけ出さぬ方がお互いのためだと考えている。例えば百貨店などにしても、地方へ支店を出して尨大な建築や近代的設備に莫大な金を投じているが、多くは算盤がとれていまいと思う。多少算盤がとれている支店があったにしても当然本店へ行くべき客を分けて貰っているので、ようやく赤字を免がれているという支店もある。デパート全体にとって支店はあながち有利なものでないと思う、しかもそれがために地方の小売商人などはどれだけ苦しんでいるか分らない。とすれば結局己れを利せず人を苦しめている外何物もない支店政策は、無駄な投資だと思う。我々にしても、いまでも田舎廻りの役者でもあるまいから檜舞台へ出て見たい気もするが、さて銀座あたりへ出るとなれば二三十万の金は用意してかからねばならず、それを投じたからといって果して収支償うかどうかが疑問である。しかも既存の同業者に与える打撃も相当多かろうと思う。かように考えると、いい加減で仏心をおこして、余り勢に乗じない方がよかろうと思う。」
「いまの小売商は救われて行くと思われますか、またデパートについてどう考えられますか」
「古いありきたりの行き方をしていたのでは小売商は衰滅するよりほかあるまいと思う。何しろ小売商人は多すぎる。小売商の平均売上高は一ヶ年五千円弱ということだそうだが、一日十五円程度の売上ではなかなかやっていけない。そこで娘を働きに出すとか、内職的にやるとかしてどうにかやっている。それがまた商売に積極的に身を入れない理由にもなるわけで、日本の小売商の進歩しないゆえんでもある。米国の小売商売は日本の約五倍くらい売っている。日本の小売商、ひいて中小企業であるが――これらの前途にはまた多くの困難が横たわっている。その一つに百貨店とか産業組合とかいう大資本のものが、それぞれ自給主義をとって行くということをあげることが出来る。だからといって小売商人の前途をむやみに悲観する訳ではない。小売商人は経費の節約によって百貨店と対抗して行くことが出来ると思う。百貨店のあの設備その他では売り上げの二割五分の経費はどうしてもかかるのであるから、そこを小売商は徹底的に切り詰めて対抗して行けば行けると思う」
「百貨店などは純益課税で、小売商人は売上高標準で税金を課しているといったやり方では担税能力から見て非常に不公平のように考えられる。つまり力のないものが、余計に重荷を負わされているという傾向があるように思うが、この点については」
「その傾向はたしかにある。だから売上高の何分というふうにして累進課税を課す方が案外公平かも知れない。私の目の子勘定だけでも百貨店を入れて一億二千万円程度の税収入はある見込みである。ともかく一番苦境にある小売商人の税負担を軽くして販売経費を幾分でも低下させてやることは、衰亡途上にある小売商に活を入れるゆえんだと思う。」
「小売商の経営上について、例えばショウ・ウインドなどにしても日本の商店がいたずらに外国模倣式でギコチない感がするが、外国ではショウ・ウインドなど廃してかえって売上げを増している店があるということですが、それらについてのお話を聞かして頂きたい」
「元来ショウ・ウインドというのは、外国が初めでもなんでもない。日本では天ぷら屋など昔から店さきで揚げていて、匂いと実物で客を吸収している。これは立派なショウ・ウインドである。建具屋が店頭で仕事をしているのもその一例である。ところが近来どこの商店でも飾り窓などに馬鹿な金をかけることが流行で、狭い間口の店まで貴重な売場面積をショウ・ウインドに占領されているようだが、あれなどは考え物だと思う。かえって実物をただちにお客様の手にとって見られるという風にした方が、効果的だと思う。それから経費の節減ということで思いついたが、私の店で包紙に非常に金がかかるので調べてみた。ところが二十銭の折も一円の折も同じ包装紙を使っているというようなわけで、包装紙だけでも二十銭の場合だと一割もかかっていたが、これをそれぞれ相当の包紙を使用することに改めて経費の節減を計った。さすがはこういう点ではデパートは進歩したもので、コスト販売経費などはなかなかよく研究している。売場のカウンターの高さとか通路、照明の具合などは我々はデパートに
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