の感化をうけて、物を大切にするように改まってまいりました。
無駄の最大なるもの
私が前申し述べましたことは、無駄の中のむしろ小なるものであります。私が三十年前、日本菓子の製造を始めた当時は菓子職人に悪い習慣があって、卵や砂糖を持ち運んだり賄賂をとったり致したものであります。私はこれを発見しましたのでそれをただちに解雇して他の者を雇ってみましたが、やはりこれも同様でありました。私はこの浅ましい習慣が、小店員に感染してはその父兄に対して相済まぬと考えましたから、当時第一流の菓子店主達に相談してみますと、菓子職人は皆同様であるから、その不当収入を毎日一円と見積れば、実収入月に五十円、彼らとしては相当なものだという話で、まるで店主側でも彼らの悪習慣を公認している様子であります。これでは可哀想にも正直な職人は何年経っても妻子を持つことすら出来ないのであります。私としては、こんな矛盾は一日も黙認することは出来ませんから、ただちに職人の俸給を一躍二、三倍に増額しその代りにこの悪習慣を改めざる者は即時解雇する旨厳命致しました。幸いにその後においては、二、三の不心得者以外はこの禁を犯すものなく、この問題は解決したのであります。
これと同様の話が三井家にもあったと聞いて居ります。江戸時代越後屋(三越の前身)の大番頭の俸給は、僅か三両でありましたが、問屋からのツケ届けによってその生活は大名暮しだったそうであります。この風習は明治時代になっても依然として残って居りましたが、三井家中興の大功労者、中上川彦次郎氏は、まず第一にここに着眼し、三井家全体の使用人の俸給を一躍数倍に増額し、同時に彼らの賄賂を厳禁して今日の大三井の基礎を築いたということであります。今日でも一般社会にはなおこの悪習慣が行われて居りますが、その責はむしろ雇主側に多いと云わねばなりますまい、すなわち主人は、雇人の生活の必需俸給を惜しんで、かえってこれに幾倍する損害を受けて居るのであります。これは無駄の大なるものであります。
またこのほかに商売や事業に極めて熱心な主人の往々にして陥り易い大きな無駄があります。職業に熱心な主人にとっては、その仕事はむしろ楽しみで、従って倦むことを知らない。夜は十時、十一時と時の経つのも忘れて居りますが、翻ってその下に働く人の身の上を思い合せて御覧なさい。実に惨めなものであります。店則には帰宅時間の定めがありましても、主人の執務中、自分だけ帰宅することは出来ず、満々たる不平を懐きつつ主人の退くのを今か今かと待って居るのであります。されば、これらの人々の執務時間は、十四五時間に及ぶとも、その能率に至っては早仕舞を楽しみつつ喜び勇んで働く人々の八時間にも劣るものであります。こうして仕事好きの主人は、毎日毎日使用人の数時間を無駄にし、彼らの家庭の団欒をも失わしめるのであります。また使用人中には何らの不平もなく、十五、六時間を真剣に働く殊勝なものもありますが彼らは過労の結果、業半ばにして倒れるものが多いのであります。これは大切な人間の生命を無駄に終らせるのでありますから、これこそ最大の無駄といわねばならないのであります。
かつて欧州大戦当時、神戸の独逸人商館に勤めていた友人の話に、その主人は毎夜十一時迄も仕事をして居りましたが、使用人にはことごとく五時半限りとして帰宅させました。ある時友人が主人に少しく手伝わせて貰いたいと申し出ますと、彼はこれに答えて、祖国独逸の人々が、今戦場に生命を曝しているのを思って私は働いているのであるが、諸君はすでに定められた今日の職務を果したのであるから、私に対する懸念はいっさい無用であると断られたということであります。
また前内務大臣山本達雄氏が、内相後藤文夫氏に対する事務引継ぎの際に、貴君は農林大臣当時夜中までも会議を開いていたと聞いて居るが、内務省では退庁時間を尊重するよう取計って貰いたい、これが私の事務引継ぎである、と述べたと当時新聞紙上に報ぜられて居りましたが、これこそ人に長たるもののまさに心得べき金言であると思います。
廃物の利用
薯蔓《いもづる》式経営といって、一つの事業から生ずる廃物を他に有効に利用して、それからそれと利益を挙げます。例えば昔はコールタールは、ブリキ屋根を塗る以外に用途の無かったものでありますが、今日では九州の三池炭山やその他等においてはコールタールから染料を製出して、従来独逸から輸入されていた数千万円の染料を防ぎ止めるだろうと云われて居ります、私の店でもこの点に留意しまして従来捨てて置いたパン屑を利用して犬ビスケットを製造する事に致しました。これが幸いに英国や独逸から輸入している犬ビスケットを圧倒して居るのであります。舶来品は一斤六十五銭、これに対して中村屋製品は二十五
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