、従来の如く自己本意の商策を弄せず、社会の進歩、生活の向上発展に寄与するの精神をもって、合理的研究を怠らないならば、すべての難問題も容易に解決し得らるる事を確信致します。
学術的研究の必要
学術的研究を云々するのは、釈迦に説法の観がありますが、商売を致して居りますと一般に学術的研究が疎略にされ勝ちであります。
私が帝大前に店を持って、まず第一に悩まされたのは、店員の脚気でありました。脚気は商店病と申してよいくらい商家に多い病気であります。しかしこれはヴィタミンBの欠乏に原因するものであることは学術上立証されましたので、食事その他について注意を払いました結果、現二百名余りの店員中に一名の脚気患者なしという状態で、学術の恩恵は誠に偉大なものであることをありがたく感謝して居ります。
また数年前アメリカから輸入される乾杏が、多量の亜硫酸を含むという理由で、発売を禁止されたことがありますが、これが動機となって私も研究を致しました結果、食料品に亜硫酸を含むものの少なくないことを発見して驚いた次第であります。亜硫酸は物を晒す力のある薬品でありまして、赤砂糖でもこれで晒しますと雪を欺くような白砂糖になりますので、世間ではこの能力を悪用して、粗悪品を優良品に見せかけようとすることが盛んに行われ、亜硫酸の需要は実に莫大な額に上がって居ります。
そこで私は製菓原料を仕入れるに当って、これ等の有無を見分けることはきわめて重要であると考え、最初は衛生試験所を煩わして居りましたが、毎日使う材料でありますからとうてい間に合いません。そのために独立した試験所を設けました所、私はまず第一に従来原料として用いていた水飴について甚だ無知であったことを発見したのであります。
水飴は餅米から製造され、いわゆる飴色という一種独特の色を持って居るものですが、二、三十年前から晒飴という透明で美しい飴が出来まして、一般社会では、これが従来の飴の改良されたものと信ぜられ、製菓材料としてのみならず、壜詰として広く販売されて居るのであります。これ等の晒飴は亜硫酸を含有して居るものがあり、原料そのものが昔のものとは全く違った安い材料から作られているのであります。すなわち晒飴の原料は、馬鈴薯とか、サツマ芋、南洋産のタピオカ等でありましてこれらの製品を亜硫酸で晒して作られたものが多いのであります。この安い原料で作られた晒飴は、古来の餅米製の飴に比較して、約五割の安値で、かつ見た目にはかえって美しいところから、餅米製の水飴はほとんど市場から駆逐されてしまいました。
元来水飴が子供、産婦、病人等に愛好されたのは、餅米から製造されて滋養があったからであります。しかるに今日の晒飴は、害になる亜硫酸を含んで居るものも少なくないのであります。私の店では二十年ほど前から水飴の販売は中止して居りました。それは昔からの伝統で一流の菓子店では、水飴を売らないことをもって一種の誇りとしていたからであります。しかるに今日の如く、真に滋養豊富な餅米からの水飴が、東京市内においても容易に手に入れ難い状態をみましては、伝統などにこだわるべきでないと考えまして、この水飴を販売する事に致しました。その結果は売れ行きも意外によろしく、今日では一かどの商品となって居る訳であります。
これは私の経験の一つを申し上げたにすぎないのでありますが、学術の応用は御客に対しては親切となり、また店の繁栄の原因ともなるのでありますから、将来ともにこの方面の研究はますます必要になるものと信じて居ります。
商品普及性の研究
菓子店では昔は品物を竹の皮か経木に包んでお客に渡したものであります。当時のお客さんはだいたいにおいて近所近辺でありましたので、これでも充分間に合ったものでありますが、今日の如く汽車や飛行機で交通する世の中となっては、もはや竹の皮のお客ではなく、内地はもちろん、外国までがお客筋となった訳でありますから、そこにまた一つの工夫が必要となる訳であります。文明国だ、未開国だと申されますが、一面商品に対するこの工夫の有無によって区別されると申して差支えなかろうと思います。
先頃、私の所へ南米ペルー国から来客がありまして、同国産の桃の缶詰を土産にくれました。早速口を開けてみますと実に美事なもので、味もまた申し分なく、今日世界一の称ある北米産の桃に較べて、かえって立ち勝るくらいでありました。これを北米産に代えて利用したならば、甚だ面白かろうと内心楽しみにして、その次の桃を引き出してみて驚きました。色は悪く、形もまた貧弱で、最初の姿はどこにもありません。一缶中十箇十色という有様で、商品価値は全くゼロでありました。これに反して北米産は実によく均一されて居りまして、幾缶開けてみましてもほとんど優劣の差を認
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