間というものはなかなか難しいもので、このコンビネーションは微妙なものがある。勇将の下に弱卒なしというが、天下に稀に見る戦争上手の武田信玄の下には、強い家来が多勢いた。ところが、信玄が死んだら、それらの家来が皆揃っていながら、戦に負けてしまった。これは勝頼が大将になったからである。信玄の生きている頃は信玄と家来との間が間然するところがなく、気が揃っていたから強かったが、勝頼の代になると、家来が勝頼の小父さんみたいな恰好になってしまって、そのコンビがうまく行かなかったから、負けることになってしまったのだろうと思う。
主人は店員をガッチリ抑えて行くためには、思い遣り[#「思い遣り」は底本では「思い遺り」]深く、心から感謝させて働いて貰う行き方と畏怖せしめて働かせる行き方とある。その是非は別として、二代目をして勝頼たらしめないためには主人学を学ばしめる必要がある。
恩給制を樹て店員奨励
昔は小僧さんといえば、ほとんど無給で、冷飯を食わしたものである。その代り、勤め上げれば暖簾分《のれんわ》けをしてくれた。しかし時勢が移って来ると、この暖簾分けということが出来なくなって来た。交通の便がよくなって来た今日では、暖簾分けなどする隙もないし、またしたところで、本店も分店もお互いに荒し合うだけで、いいことはなし、また資本の大きい本店に原則として勝てるわけがない。これが土地が変って、東京、大阪、福岡というふうに離れていれば別だが、それでも周囲の事情が違えば、同じ経営方針でやって行けないことになるから、本店の名に背くわけである。そういう意味で、私は一人一店主義を主張している。
以上のように、暖簾分けが出来ない事情にある当今では、商店員も会社員も同じようなことになって来ている。待遇さえ相当にして行けば、それでいいわけだし、店員もその方を結局喜んでいる。私の店でも、店員でいて、地所や宅地を相当買い込んで、老後を安楽に過せるようにしている者もある。独立して、店員時代より二倍も働いてようやくやっているよりは、店員でいる方がいいともいえる。しかしそれには、店員でいても、相当の生活がやって行けるように待遇してやらねばならないし、老後の安心の出来るようにして置いてやらねばならぬと思う。
それについて、私の方では今年の二月から、十年以上勤続者には千円、二十年勤続者には二千円というふう
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