料以外は問屋からとらないことにしている。これは問屋からとって売る製品は安心してお客にお勧め出来ないからである。いくら「見てくれ」はよくても、美事でも、材料を一々吟味しているかどうかは、そう一朝一夕に分るものではない。自信のあるものを売らなければ店の信用を維持出来ないのだから、自家製品のみを売るのはけだし当を得た策と思っている。
 これについて、一つ話がある。
 四五年前だったが、東京で最も信用のある一流の店に、私の方で弁当を注文したことがあった。その時三十人ばかりが中毒し、その店は警視庁管下でも、模範的な衛生設備をしていると自他ともに許していた店なので、いろいろ研究して見ても何が中毒を起したか皆目分らなかった。材料も吟味しているし、調理も一分の隙もないし、どこにもそんなことが起りそうな原因がありそうになかった。ところがだんだん調べて見ると、自分のところで作ったものは何一つ間違いない立派なものだったが、中の蒲鉾だけは他からとったものだったことが分った。その店は三百円ばかりの注文に、四百円もの見舞金を持って来たが、私の方でもそのために入院費その他で千円もの金を費ってしまった。だがこれはひとり、この料理屋のみでなく、すべてによい教訓になると思う。いいものは材料から吟味せねばならぬのだから、自家製品のみを売ることが一番安心なわけだ。

    店員の素質と主人学勉強

 以上は、お客に対して、店全体はどうせねばならぬかということを説いたが、それには主人と店員はどうせねばならぬかを述べなければ、画龍点睛[#「点睛」は底本では「点晴」]のそしりを免れないと思う。
 お客のために研究に、研究を重ねて、いいものを真面目に売る、すなわち「誠実と研究」を売るためには、まず店員の素質がよくなければならない。よい素質の店員を快く働かせることが商売の秘訣である。その点、戦争でも商売でも同じだと思う。家康が関ヶ原で敵の過半数の兵で戦いに勝ったのも、素質のいい兵の一致団結にあったと思う。
 広告宣伝、店舗等、その上手下手もなかなか大切なことかもしれないが、これらは末の末のことだと私は考えている。優良な店員に気持よく懸命に働いて貰うことが一番肝要なことである。店員の中に横着な幹部や怠ける店員がいれば、現在は何かの事情で盛大に繁昌していても将来は必ず破綻することは必然だろうと思われる。店主と店員との
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