。その行いは厳正にして寡慾、天晴の名僧善智識として多数人の尊敬を受けていた。するとこのバラバに金を捧げる者が続々と出て、私の知人で十数万円も献金した者もありました。その結果、最初は質素高徳であった坊さんが、何時か金襴[#「金襴」は底本では「金欄」]の衣をまとい、玉堂に住み、美人を侍らせるに[#「侍らせるに」は底本では「待らせるに」]至って、たちまち世の信用を失い、悲惨な末路を遂げたことがあった。実に金銭有用なものはなく、また金銭無用なものはないのであって、いったん無用の使い途に入ると、かくの如く人を堕落せしめる。
それゆえ、子孫のために美田を買わずという西郷隆盛の教えを考えて見ることが必要である、もしまた巨万の富を得た場合には、真に有意義なる道を見きわめてはじめてそこに活用し、禍いの種を家におかぬのが最上策というべきである。しかし人情の常としてかかる英断は容易に行われにくいのであります。そこに大資産家の子孫教育のなやみもあるのであって、如何にせば子孫をしてその富を社会に活用せしめることができるか、順境に育った子孫にあやまりなく金を使わせることはまたいっそう難しいのであります。
およそこんなものでありますから、「貯金するばかりが能でない」と諸君に言うのであって、濫費をすすめるのではないことはもとより、金を軽んじよというのではなおさらありません。諸君の上に生生溌剌として、滞りなき生活があるように、いささか立入りすぎた話ではあるが、諸君もまたこれを諒とせられんことを願うのであります。
誠実と研究をモットーに
世の中が挙げて、いよいよますます競争激甚になってくると、それに伴っていろいろとごまかしが行われるようになってくる。お菓子でいえば、卵を入れねばホントの味や色が出来ないのに、黄色い粉で色着けをするといったふうなことが、この頃よく行われている。これはそういうことをする店なり人なりに誠実がないから出来ることで、結局そういうやり方をすれば、お客はしまいにはその店で買わなくなるだろうと思う。あらゆる点に誠実を尽せばそれがちょっと見ては判らなくても、ついには形に現れて来ると思う。
だが、誠実に物を造り、誠実にそれを売っていさえすればよいかというと、それだけでは、今の時代は立ち行かない。私の店で研究ということをモットーに加えて重要視しているのは、そういう意味から
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