二代目が初代に及ばないのは、ちょうど質素な生活に慣れた地方人は都会に出て成功するが、贅沢の味をおぼえた都会人は、知識においてははるかに勝りながらこの地方人に敵わない、これと同じ道理であります。
 それゆえ昔から数代続いて繁栄の少しも衰えぬ家というのは、よほど代々の遺訓に力強いものがあり、そういう家の家憲を見ると、必ずそこには質素を第一とし、固く奢侈を戒めてある。子孫がこの家憲を守る家は長く栄え、守らぬ家は破滅する。それゆえ主人は相当に成功した後も自ら質素倹約の範を示して、家風を奢侈に委ねぬよう努力を尽し、順境において成人する子孫に充分の活力を保たせてやらねばならぬのであって、これが出来ねば自分一代は成功しても、主人学を完成したものとは言えぬのであります。
 この点米国人はなかなか徹底していると見えて、父は世に聞えた富豪であっても、その子弟は自ら働いて得た収入で、力相応に生活する習慣があり、大統領が幾千万ドルの生活をしても、いったんその職を退けば、同時に質素な一平民の生活にかえる、その生活の伸縮自在なところ、また自力尊重の一面は大いに敬服に値すると思います。どうも我々日本人は気前がよいというか、一度大臣になった人は、野に下っても、生活だけはやっぱり大臣の生活をする。いったん大きくなったら容易にもとの簡易さに戻れない。そこに人知れぬ悲劇もあると言わねばなりません。
 三百余年繁栄して衰えぬ三井家の家憲というものを見ると、やはりなるほどとうなずかれるものがあります。誰方もよく御存知でありましょうが、私の心を惹いた条々を、おぼえのままに引いて見ますと(但しこれは現代語に直されてあり、原文そのままに味わうことは出来ないがだいたいの意味において)
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一、同族一門は情諠を収て和衷協調し、心を一つにして行かねばならぬ。同族が相争う時には家運は亡びる。一本の矢は折れ易いが、十本の矢を束ねる時は折れない、というこの教訓は、自分の家の掟に適っている。
一、節倹は家を富まし、奢侈は人を亡ぼす、節倹は子孫繁栄の基礎である。
一、家業に専心しなければならぬが、必要なる経費は積極的に出さねばならぬ。あまり勘定ばかりしていては大きな商売は出来ない。
一、他人を率いる者は、よく業務に通暁しなければならぬ。だから同族の子弟はまず丁稚小僧の仕事から見習わせて、漸
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