状態であったのです。
 しかし私は、来店される客の増加に応じて徐々に拡張し、店内は常に相応の賑いを失わぬようにすべきであるという見地から、建築費の節減を計らんがために一挙に大拡張をして、店内が急に淋しみを感ずるようでは、決して策を得たものではないという考えを捨てなかったのです。そうしてそれは決して間違いではありませんでした。
 商売上手といわれ、また店舗として自他ともに許したものが、あまりに調子に乗り過ぎて、先の先まで見通したつもりの拡張や改築がかえって失敗の原因となった例は、いずれの周囲にもあまりに多数に見られるのです。大阪の灘萬などもその最適例です。また繩のれんの一杯茶屋であるとか、八百屋などの雑然たる繁昌店が堂々たる店舗に改造して、急に客足を減ずるなど、みな店相応の格を忘れての失敗といわねばならない。総じて人に人格ある如く、店には店の格というものがあって、その店の格相応の構造を必要とし、必要以上のものは破壊の因をなす。考えねばならないことだと思います。宮内省御用の虎屋なればこそ、あの堂々たる城廓のような建築でも商売繁昌するのであって、もしあれを一般の菓子店が真似たならば恐らくお客は寄りつけまいと思います。

    主人学の修業

 私は菓子屋でありますから、菓子の製造販売等につきましては、少しは経験致して居りますが、今日このお集りはそれとは全く違いまして、工場経営をなされる皆様方に対し、何をお話致せば宜しいか、到底その資格はございませんので、実は固く辞退したのでありますが、何でもよいから話せとのたってのお望みでありましたので、伺いましたような次第であります。まず私自身に痛感して居りますところの主人学の修業ということについてお聞きをねがうことに致そうと存じます。
 私の所の菓子職人に致しましても、一人前の腕前になるのには少なくとも十年の修業を要します。足袋職なども七年位は苦労せねばならぬと聞いて居ります。また少しく高級なところで見ましても、彼の外国航路の船の船長となるには、商船学校を卒業して更に十年くらい実地の練習を必要と致します。何でも一つの事をなすには、皆かようにそれ相当の修業を要しますのに、ひとり商店の主人となる修業というものだけは聞かないのであります。工場主においても店主の場合と似て居りまして、専門の知識を必要とすることは別でありましょうが、単に一工場
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