消すことのみ考えているらしい。しかしこれというのも必竟するに、主人たる者が彼らを待遇する法を誤っていたからで、これひとり職人の罪に帰することは出来ない。むしろその責めは主人が負うべき筈である。いったい今までの主人たる者は、朝から夜まで工場で手足を動かしていさえすれば、仕事は進まずとも満足するし、勉強して早く仕事を仕上げて休息すると職人が怠っているものとして甚だ機嫌がわるい。かようにせずして毎日の日課を定め、これを終えざれば徹夜してなりと仕上げよと厳重に申し渡して実行せしめる代りに、もし仕事を早く片づければ、半日で済んでも公々然と休めるというふうに仕向けるべきである。そうすれば職人達も従来の職人根性は出さないで、精々働くものである。当店の職人なども初めはこの職人根性であったため、甚だ不愉快を感じ、また不都合であったけれども、待遇法を改めて以来全くこの弊風は止んだことを喜んでいる。
また店員を使うに、その人の長所短所をよくわきまえて適当の仕事を与えなければ、彼も我も甚だ不愉快なばかりでなく、不得意である。甲は外交的役割に最も適し、乙はまた店番として商品整理や客扱いに成功し、丙はまた集金に妙を得ているという如く、必ず他人の及ばざる長所を誰しも持っているものである。そこで主人として大いに注意すべきことは、店員の長所短所を心得て事務を執らしめざるべからざることはもちろんであるが、主人の手加減一つで本人を片輪的の、融通のきかない人物としてしまうことが往々ある。これを我が店員について見るに、店の部を受持っているものは製造のことはいっこう趣味を持たず、時々御得意から菓子の製造など問われて答に窮する者もある。また製造部にいる者は店の営業に興味を持たなくなる傾きがある。すなわち客に接するのを面倒がり、あるいは仕入れのことを念頭におかなくなる。ただ終日麺棒を握って粉と砂糖にまみれ、そして月々の給金を貰って満足するようになるが、従来の職人はみなこれと同じ模型のものであって、ただ職をおぼえるだけで商法というものを呑み込んでいないから、いつまで経っても職人でパン屋へと渡り歩き、四十五十の下り坂になってもいまだ家を成さず、妻子を持たず、依然職人として使役される者が沢山ある。ゆえに我々は店員をしてかような弊に陥らしめざるよう種々苦心しているが、その方法の一つとして製造部いわゆる職人見習いの小僧ど
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