のか、米国は新開国であるため、長年の歴史によって世人を信用せしむる老舗がない。よって人を信用せしめ、自店の存在を知らしめるには勢い宣伝によるほかない。ところが欧州になると国が古いだけに、老舗というものが至るところにある。これらの店は別にそれほど広告をしなくても、長い間の暖簾《のれん》で人が買ってくれる。したがってそれほど広告が重要ではない、それゆえまたそれだけ物が安く売れるわけである。その代わりかけ出しの店がこれと肩をならべて行くことは容易ではない。宣伝すればするほど広告倒れとなって競争しずらくなる。
米国においても宣伝費は結局価格に転嫁されて、それだけ高くなりはしないかとの疑問が出るのであろう。しかし米国は大国である。市場が大きい、広告費は大量生産による生産費の引下げによって相殺される。
鵜の真似をする烏、日本の広告万能主義の人々が当然うくべき名前である。
配給費のこと
欧州では牛乳が安い。すべての物価が日本に較べてはなはだ高いのに、ひとり牛乳が特に安い。私はこの原因をつきとむるべく皆の寝ている中にホテルを飛出した。なるほど安いわけだ、大量生産のため安いことはもちろんであるが、配給法がうまくいっている。互いに協定配達区域により、人の領分を犯さない代わり、他人からも侵されない。従って配給費が非常に安くつくからだ。私の伜がハイデルベルヒの小高いところに下宿していて、牛乳を毎日一本ずつ届けるように頼んだところ「貴方のところは高き所ゆえ届けるには不便だから配達は致しません。取りに来て下さい」ということで、やむなく毎日下の牛乳屋まで取りに行った。
日本では牛乳屋同志の競争が激しくて、本郷の牛乳屋が糀町へ侵入したり、また逆に糀町のものが本郷の方へ出かけて行く。それでも数がまとまればよいが、一本でも二本でもとどける。
私の店ではこの点を考えて、午前午後の二回しか配達はやらない。このため浮いた金額は勉強の方へまわす。薄利多売主義のためにまわす。この二回以外にたって配達してくれという場合や遠方の配達に対しては、実費として電車賃往復十四銭をいただくことにしている。よく宮家からも御注文をいただくが、やはり電車賃はいただいている。私は電車賃を請求しても、これに要する手間だけは御客様へのサービスだと考える。私のところで奉仕パンと称して品質を非常に吟味したもの――これは
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