もじつに容易でないのである。
 かつて石黒忠悳翁が明治初年の頃、八百善に行き、鯛料理を註文したところ、主人が出て『ここ数日、鯛が品切れでございます』と挨拶した。『それでも昨日某鯛料理店では百人ほどの膳に鯛をつけたが』と翁が怪しむと、主人は『地鯛なら何程でもありますが、手前のところでは興津鯛を用いますので』と。翁はこれをきいて『なるほど、さすが八百善だ』と感心されたということであるが、一流料理店の苦心の一通りでないことはこれによっても察しられる。

    印度志士の問題

 印度人のボースが私の聟《むこ》となり、日本に帰化し、中村屋の幹部として働くようになった因縁については、妻がすでに「黙移」の中に詳しく書いているから、それを参照してもらうことにして、私はむしろ「黙移」を補足する程度にごく大略を述べることにする。
 ボースは印度ベンゴールに生れた。階級の厳重な印度で彼の家は四階級の第二なる王族階級であった。彼は十六歳の時父のもとを離れ、祖国を英国の圧制より救わんとする革命運動に投じ、そのうちにラホールにおいて印度総督に爆弾を投じて以来、英国政府は彼の首に一万二千ルピーの懸賞金を付してい
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