であったが、翌朝行って見ると番頭から意外な報告である。それは役場からまた電話があって註文の取消しがあり、やむなく承知いたしましたが、その糯米の始末に困っておりますというのであった。
 私も驚いて、註文の間違いは役場にあって、この方には少しの手落もないものを、電話一つで損害の全部を引き受ける馬鹿があるかと叱っては見たものの、何としてもこの一石五斗の水に浸した糯米の始末には閉口した。
 そこで取りあえず、店で朝生《あさなま》と称している田舎、ドラ焼、そば饅頭などの製造をいっさい中止させ、その赤飯用の糯米を少しつぶして桜色をつけ、餡を入れて桜の葉に包み「新菓葉桜餅」として売り出して見た。するとこれが葉桜、季節に適うてまず新鮮な感じを呼んだことであろう、たいへんに受けて、拵えても拵えてもみな売り切れ、次の日と二日で一石五斗の糯米をきれいに用い尽してしまった。あまり良く売れるので引き続き毎朝製造し、およそ一月の間に二十石もの糯米を使用したほどであった。
 この葉桜餅も今日では全国に行き渡り、季節の感を新たにする菓子の一つとして愛されている。

    缶詰業の先覚豊田翁の卓見

 地方から東京に
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