当時私の郷里長野県選出の代議士で川上源一という人があり、ある日店に来て仕事の様子を見て、『君もこれだけの工場を持っているのだから、一つ軍用ビスケットを製造してはどうだ、関係当局の方は私が斡旋する』と言って勧められた。私は川上氏の好意を感謝したが、『いや私はまだ素人です、軍用ビスケットの製造は私には大仕事すぎます』と言い、手を出す気のないことを答えた。
川上氏は『それは惜しい、今は二度と得難い飛躍の機会だ、勇気を出して是非やって見るよう』と再三推し勧められたが、私はやはり従わなかった。自分のような経験の浅いものがそういう離れわざを試みるのは全く僭越の沙汰だ、きっと成功しない、とほんとうにそう考えていたからである。
川上氏は私の頑固なのに呆《あき》れて帰られたが、当時そういうよい手蔓《てづる》がありながらこの仕事に乗り出さぬというのは、あまりに臆病すぎる話であったかも知れない。実際この製造に参加した店々はその後も毎日莫大な利益を上げ、職人の給料なども一躍三倍という素晴しい景気を見せて、その上納入数量はますます増加する、どこまで進展するか知れぬという有様であった。が、間もなくこの仕事の
前へ
次へ
全236ページ中39ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング