ば、店の売上げが全体的には増加しても、最高最低の差が甚だしくては経済的にはかえって安心出来ないのであって、高低の差の少ないことが最も望ましい。理想としては売上げが毎日平均し、したがって店員の働きも平均されるのをもって上々とする。しかし商売はお客様次第、こちらでどんなに平均しようと望んでも、売れる日と売れない日があり、平均の成績は望むべくしてじつはとうてい得られるものでないが、せめて平日を基準として最高五割増、最低三分の二を下らぬよう経営の安全を計るべきである。
日露戦役当時の思い出
ここにまた日露戦争当時、軍用ビスケット製造の話がある。日露の戦端が開かれた明治三十七年は、私がパン屋になって第三年目、ようやく少し経営にも道がついて、おいおい自家独特の製品を作り出そうと研究怠りなき頃であった。国内は軍需品製造で大小の工場が動員され、軍用ビスケットの製造に都下の有力なパン屋が競って参加し、一時非常な景気を呈した。納入価格はたしか九銭二厘であったと思うが、平均一店一日の製造高が五千斤にも上るという状態であったから、その利益はおよそ一割と見て毎日四十五、六円を下らぬ計算であった。
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