夫婦はこの先代の失敗のあとを見て、互いに戒しめ、
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営業が相当目鼻のつくまで衣服は新調せぬこと。
食事は主人も店員女中たちも同じものを摂《と》ること。
将来どのようなことがあっても、米相場や株には手を出さぬこと。
原料の仕入れは現金取引のこと。
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右のように言い合わせ、さらに自分たちは全くの素人であるから、少なくとも最初の間は修業期間とせねばなるまい。その見習い中に親子三人が店の売上げで生活するようでは商売を危くするものであるから、
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最初の三年間は親子三人の生活費を月五十円と定めて、これを別途収入に仰ぐこと。
その方法としては、郷里における養蚕を継続し、その収益から支出すること。
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この案を加えて以上を中村屋の五ヶ条の盟とし、なにぶん素人の足弱であるから慎重の上にも慎重を期して、いわゆる士族の商法に陥らぬよう心がけるとともに、店を合理的に建て直すことに力を注いだ。
私も妻も衣食のことには至って淡泊で、享楽を求める気持もないから、これらの条々に従うのにさしたる無理もなく、かえって店員たちと同じに生活し、いっさい平等に働くところに緊張があり大いに愉快を感じるのであったが、困るのは現金仕入れの一条であった。
当時の私としては借金して店を買ったのが精いっぱいで、開業早々あとには何程の所持金もない。さればとて郷里の両親に送金を頼むということも出来なかった。病気療養のために上京した年若い夫婦がそのまま東京に止まるさえ不都合というべきに、いわんや全く無経験の商売に手を出すなど危険千万、両親から見れば呆れ果てたことであったに違いない。頼んでやっても送ってくれる筈はないのである。私たちとしてもむろん自力でやって行きたかった。
幸い子供の貯金がまだ手をつけずにあった。私どもは子供が生れた時から、将来教育費に当てるつもりで少しずつ積んで行き、こればかりは自分の所有にないものとして考えていたのであるが、見ると三百円になっている。無心の子供に対して勝手なようで気が引けたが、一時これを流用することにして現金仕入れを実行した。
おかげで原料が安く手まわり、一方雇人たちも今度の主人の真剣さを理解してくれて皆々気を揃えて働き、それに我々の生活費を見込まぬという強味もあって、製品ははるかに向上し、これまでより良い品が売れることになったのである。
すると有難いもので店の売上げは日に日に上向き、間もなく二、三割方の増加を示すようになった。こうなると五ヶ条の最後の一つ、国元の養蚕収益から支出するということは要らなかった。どうやら一個のパン屋として、苦しいなりにも独立自営の目途がついたのであった。
私の母校東京専門学校の大学昇格資金に、金壱百円を寄付することが出来たのは、たしかそれから一年後であった。まず最初の三年計画が一年で行われたような結果であった。
コンミッション排斥
書生上がりのパン屋というので当時は多少珍しかったものか、婦女通信社から早速記者が見えて我々の談話を徴し、書生パン屋と題して大いに社会に紹介された。
この記事が出ると、今まで知らずにいた人も『ははあ、中村屋はそういうパン屋か』とにわかに注意する。大学や一高の学生さんで、わざわざのぞきにやって来るという物好きな方もあって、妻もまだ年は若かったし、さすがに顔を赤くしていたことがあった。
そんな関係からだんだん学生さんに馴染《なじみ》が出来て、一高の茶話会の菓子はたいてい中村屋へ註文があり、私の方でも学生さんには特別勉強をすることにしていた。
ある日その一高の学生さんが見えて、一人五銭ずつ八百人分の註文があった。ところがその後へ小使いが来て『今日寄宿舎に入る四十円の一割を小使部屋へ渡してもらいたい、八人で分ける』という。私は、学生さんから直接の註文であること、また学生さんのことなのですでに特別の勉強をしてあることを話し、小使いの要求に応じる筋はないと言って断った。
すると彼は意外な面持《おももち》で『他の店ではどこでも一割出す習慣になっている、それをこの店だけが出さぬとあれば、容器《いれもの》などはどんな扱いをするか保証出来ないが』そこで私は『それも宜《よ》かろう、君らは学校から俸給を貰っていて学生の世話が出来ないというのであれば、君らの希望通り、明日から学生の世話をしなくともよいように取り計って上げよう』早速学校の当局に出向いていまの言葉をそのままに話して来ようと強硬な態度を見せたところ、その小使いは驚いて逃げて帰った。あらたまって飛んで来たのが小使頭で、彼は前の小使いの失言を詫び入り、どうぞ内聞に願いたいと頼むのであった。私も気の毒になって、それではと菓子一袋ずつを与えて帰
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