すべきでない』
 私は電車の中でこう断定を下した。店に帰ると家でも一割引の計画中だ。もう一万枚の割引券は立派に出来上がって来ているのだ。しかし『まあせっかくここまで準備の出来たものだから、今度だけはやってもよかろう』ということは、私には出来ないことであった。『割引売出しは中止だ』とばかり、割引券を取り出してパン焼竈に投じ、早速煙にしてしまった。
 爾来三十年、私の信ずるところは少しも変らない。世間でどんなに特価販売が流行し、買手の心がどんなにそこへ動いて行っても、我が中村屋は割引を絶対にしない。どこまでも正価販売に一貫した経営で立っている。すなわちその正価というものが、中村屋では割引など仮初《かりそめ》にも出来ないほんとうの正価に据えられているのであって、この正価販売への精進こそは我が中村屋の生命である。
 当時店員の中に、山梨県出身の白砂という少年がいた。これは今は陸軍主計大佐相当官になっているが、松屋の支配人故内藤彦一氏の甥であったので、私は自分の意見をこの少年から内藤氏に伝えさせた。『バーゲン・セールは中止する方が得策でしょう』と。
 その後も松屋は年々これを繰り返し、バーゲン・セールは松屋の年中行事となっていたが、銀座進出と同時にこれを廃《や》めてしまった。内藤氏が私の忠言に耳を傾けたのかどうかは知らぬが、他の百貨店が競って特価廉売景品等に浮身をやつす中に、現在松屋だけが超然としているのを見ると、私はじつに会心の微笑を禁じ得ないのである。

 正価販売の話のついでに、私はもう一つこのことを言いたい。
 現在森永の定価十銭のキャラメルが八銭で売られ、明治の小型キャラメルが三箇十銭で売られているのは周知の事実だが、信用ある大会社の製品がこんなに売りくずされているのを見るのはまことに遺憾である。
 世間ではこれを単に小売店の馬鹿競争と見ているようだが、私に言わせれば両会社の責任である。会社自身が互いの競争意識に引きずられて、一時に多量の仕入れをする者には割戻し、福引、温泉案内などの景品を付ける。したがって必要以上に多量に仕入れた商品は、それだけ格安に捌《さば》くことが出来るのみでなく、終には投売りもするようになる。この順序が解っているから両会社も市中の乱売者を取り締ることが出来ない。森永も明治も市内目抜きの場所にそれぞれ堂々たる構えで売店を出しているが、喫茶の方は
前へ 次へ
全118ページ中24ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
相馬 愛蔵 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング