出て来て商売をしようという時、誰でも一度はきっとその故郷の物産を取り寄せて店におくことを考える。御多分に洩れず私も中村屋のはじめ、信州の杏の甘露煮缶詰をたくさんに仕入れ、これを店において大々的に売り捌こうとした。そしておきまり通り失敗した。東京には日本全国はもとより外国からも輸入されて、じつに多種類の食品が入り込み、それを自在に選択して用いている東京人であるから、その嗜好はじつに複雑で、いかに一地方で自慢の品だといっても、決してそれだけで満足はしないのである。
地方ではそれが解らぬから、青森からは東京に林檎を出して失敗し、山形の「乃し梅」越後の「越の雪」岡山の「きびだんご」等々、地方の名物で、東京に販売所を出して失敗しないものはないと言ってよいくらい、どんなに地方で物産奨励と意気込んではるばる品物を輸送し、販売所を東京に設けて見ても東京の家賃は高い、一地方の名産の一、二種ぐらいを販売して立ち行くものではないのである。客の立場から見ても、青森の林檎がどれほど好ましかろうと、それ一種の籠詰ではちょっと進物になりかねる。信州の杏の缶詰もその通り、そこに気がつかなかったのは、私がやはり田舎者であったのである。
私はまた、信州の山林にたくさん野生する山葡萄からジャムを造って売り出してはどうかと思い、缶詰業界の大先覚豊田吉三郎翁を訪問して教示を乞うた。翁はこれに答えて明快なる断定を下された。
『山葡萄はジャムとしては相当味わえるが、商品としては見込がない、あの通り山林に野生するものでごく低廉に手に入るところから、誰でも一度は考えて見るのだが、さてこれを商品として売り出すようになりますと、原料は年一年と払底して次第に山の奥深く入って採集せねばならなくなり、原料代は高くなって採集量はかえって少なくなるというのが順序です。で、せっかく販路が拡張されて相当の売行きを見る頃は、製品は逆に格高となり、終には中止せねばならない。そこへ行くと栽培果実を原料としての製品は、最初は天然物に比してはるかに格高であるが、販路拡張して多量に需要されることになれば、栽培技術は進歩し、製造機関は完成し、年一年と原価の引下げを見ることになって、商品としての価値はますます向上して行くものです。それゆえ山葡萄のような自然生のものは、自家用の原料としては適当ですが、商品としてはほとんど価値を認められません』
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