六分の経費は必要であって、それに些少の利得を加算して二割の販売差益を受けるのは当然のことである。官吏が俸給を受け技師が設計費を取るのと、何ら異なるところはないのである。
それを小売商人が他の店との競争意識にとらわれて、二割要るところを一割ぐらいにして客を引くと、それでは実際の経費を償うに足らぬのであるから、この無理はどこかへ現れなくてはならない。すなわち問屋の払いを踏み倒すか、雇人の給料を不払いにするか、家賃を滞《とどこ》らすか、いずれにしても不始末は免れないのだ。それゆえ実際の経費以下の利鞘で販売する商人は、真の勉強する商人ではなくて、他に迷惑を及ぼす不都合な商人というべきである。
以上私が近所の店の囮《おとり》商いに悩まされたのは三十数年の昔で、時代はそれよりたしかに進んだ筈であるが、いまだにこの囮商いは廃されない。例の一つをあげて見ると、数年前のこと都下の某百貨店で、七月の中元売出しを控えて角砂糖の特価販売をした。当時角砂糖は市価一斤二十三銭、製造会社の卸原価が二十銭でこの利鞘が一割五分であるから、これは大勉強の値段であった。この同じ角砂糖をその百貨店では一斤十八銭売りとして広告を出したから、市内の砂糖商は驚いた。これは明らかに角砂糖を囮にしたものであって、たとえ原価を二銭も切って角砂糖では損をしても『安いぞ』という印象で砂糖に釣られて他の商品がよく売れるから、損はただちに埋め合わされ、かえって幾倍かの利益を見ることが出来る。百貨店のこの計画はたちまち砂糖店の問題となった。中元売出しを目の前にしてたくさん仕入れた砂糖が、これでは客を百貨店に取られて、どこもみな品を持ち越さねばならない。そこで砂糖店側では組合長の宅に集まって、善後策を相談した。その結果組合長が電話で製造会社に問い合わせて、会社がその百貨店に売り渡した数量は二十五斤入り三千箱一万五千円であることを確かめ、一同はただちにつれ立ってその百貨店に行き、売場に積み上げてある七百箱を買い取り、さらに一千箱の予約註文を出した。先方は狼狽した。こう大量に引き上げられては無益に千余円の損失を見るわけだ。さすがに砂糖商の苦肉の策と察してただちに陳謝し、囮の特価販売を中止する代りに、砂糖店側でも一千箱の予約註文だけは取り消してもらいたいと頼んだ。砂糖店の方でも百貨店をいじめるのが目的ではなく、やむを得ずこの挙に出
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