れる御註文の金高は、それ以前の御註文の四、五倍のものになったから、配達費の負担が著しく軽減し、手軽なものはお客様御自身で快くお持ち帰りになるようになり、正価は正価、配達料は配達料とはっきりして、店頭の売価において従来よりいっそうの勉強が出来るようになった次第である。もし一般商店と同様に遠距離まで無料配達を続けていたとすれば、その費用として商品の価におよそ一割くらいを加えなくてはとうてい立ち行かぬところであった。お客様に対してどちらが親切な仕方であるか、それは自ずから判るところであろう。

    模倣を排す

 私は店格ということをいい、これを店の持前持味というように解釈したが、ここではその店格なるものの根本について話してみたい。
 人間はその面の異なる如く、その性質を異にし、神と崇められる者があれば悪魔と嫌われる者もあり、じつに千差万別、人生に複雑な妙味を現し、また尋常一様に見られる中にも個人個人で多少とも異なるところがあるものである。
 ところがその各自異なる人間の仕事であるにもかかわらず、商店にはとかく雷同性が多く、個性の認められる店はきわめて少ない。そしてこの雷同性がいつも共倒れの原因となっているのは、じつに悲しむべき現象である。かつて日露戦争直後、東京で最初にロシヤパンを売り出し、珍しいので相当繁昌した店があった。ところがたちまち十数店の同業者が同じロシヤパンを売り出し、競争となって共に没落してしまった。
 これなどほんの一例にすぎず、ある店が何か工夫して売行きよしと見ると、同業者は一斉にこれを模倣して、たちまちその特色を失わしめてしまうのが、ほとんど世間おきまりのようである。我が日本人は世界中で最も善良な性質の持主であるが、模倣に長じて独創に乏しいところはたしかに一大欠点といわねばならない。海外貿易に従事する人々の間でもこれが著しく、一人がある国の市場に適する商品を発見して商売に成功するのを見ると、他の貿易商たちも競うてこれを模し、たちまち市場を争うてついにはその貿易を破壊に導いた例が少なくない。また内地の都市あるいは地方にあっても、一般に独自性が乏しいため、どの店もおおかた似たりよったりで一向に特色がない。これでは存立の意義きわめて薄く、男子一生の仕事として生き甲斐あるものということは出来ない。
 私が店格を云々とするのはここであって、他人の境地を侵さ
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