妙な点があり、古い店ではこの消息が自然に体得されており、目立たぬところに完全な備えが出来ていて、一つのいわゆる福相となって潜在するのである。ところがそういう店でもいよいよ改造という段になると、当然近代の新様式を取り入れるため、長い間に調うていた呼吸が破れ、たとえば地下室を造る必要上、床が路面より高くなって入りにくい構えになるなど、その他種々思わしからぬ個所が出来て、外見は立派になりながら人好きのせぬ店になり、一つには店内あまりに整然として広さが目立ち、お客の姿が急にまばらに見えるなど、改造とともに一頓挫を来たした形になる例が多く、しかもいったん改造し拡張してしまったものは、もう取返しがつかぬのである。
さてこう述べてくると私の改築反対は著しく消極論のように聞え、諸君の盛んな意気に反する感があるかも知れぬが、私は決して消極的でも何でもなく、どこまでも内容の積極性を失わざらんがために、勢いにまかせて外形だおれに陥ることを避け、大いに自戒するのである。
再び例をもっていえば、繩のれんの一杯茶屋の繁昌はどこまでも繩のれんの格においてのみ保たれるのであって、長年労働者を得意として発展した店が、財力豊かになって来たからとて、急に上流向きの立派な店構えに改築して、それで得意を失わずに済むものではなく、またにわかにかわって上流の客が来るものでもない。外観の整うたのに引きかえて内実が衰微して行くのは、むしろ当然のことと言わなくてはならない。と同時に上流向きの店は上流向きとしての格相応な構えがなくてはならぬであろう。同業の中に見ても、宮内省御用の虎屋には虎屋の構えがあり、また虎屋なればこそあの堂々たる城廓のような建築になっても商売繁昌するのであって、一般民衆相手の菓子店がもしも虎屋を真似たならば、おそらく客は寄りつくまい。中村屋は中村屋相応の格を守り、決して調子に乗ってはならない。
商品の配達に要する失費
店を改築して経費が嵩《かさ》めば今のように安く売ることが出来ず、売価が上がればそれに伴うサーヴィスとして、百貨店などのように無料配達の必要も起って、いよいよ経営の合理化に遠ざかることをすでに述べた。そこでこの配達費というものは商店経費の中のどのくらいの割合を占めるものであるか、少しこれについて考えて見よう。
中村屋が無料配達を廃止したのは今から十年前のことであって
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