手紙《わびじやう》持たせお艶の方へ送り返しぬ。
 それよりお秋は、お静の事いひ出でては気遣ひしが。一月あまり経ちたる頃ゆくりなくもお静よりの手紙届きぬ。何事と開き見れば。
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「急ぎ御願ひ申上候この程より母事俄に病気づき養生かなはず遂に昨夜死去いたし参らせ候今は申上候も涙の種なれどその二三日前より深くこれまでの事後悔いたしなき後は何事も御断り申上候て家財はのこらずあなた様へお返し申上私事は下女になりとも御めし遣ひ下され候やうくれぐれも御願ひ申上よと申しのこし参らせ候それにつけてはゐさい御目もじの上申上たく候まま何事も御ゆるしの上御二方様の内御越いただき候やうくれぐれも願上参らせ候とり急ぎあらあら申上候かしく」
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 されど金之介は、思ふよしやありけむ。お秋の心もとながりて、我ゆきて見むかといふをも止めつ。ただ人していはせけるやうは、お艶の遺財は、たとひもと父の、彼に与へたまひしものなればとて、我の再びこれを受けむやうはなし。ただお静の、外によるべなければとて、身一つにて我方に来らむは差し支へなし。母上もいとほしきものに思ひたまへれば、いかやうにも世話なし遣はさむにとの事なりしが、その後の事はいかなりゆきけむ。今も上福島村なる淵瀬の住居には、老母ひとり淋しげに留守居して、もの堅き息子の、日毎学校に、通勤するを見るのみなりといへり。
 されと岡焼連はいふ。お静は目下同地なるある手芸学校の寄宿舎にあり。これいかで金之介方に嫁入るべき筈ならでやはと。いづれにお静は、色清き世を経るなるべし。(『女学雑誌』一八九六年一二月一〇日)



底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化
   1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
初出:「女学雑誌」
   1896(明治29)年10月25日、12月10日
※底本では、文末の日付に添えて『女学雑誌』を示す記号として「*」を用いていますが、『女学雑誌』に直しました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2004年9月20日作成
2005年11月4日修正
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