何だかこの節あの方がお嫁さんを探していらつしやるといふことを、ヲヤといひて花子はしばし考へゐしが、やがてにやりと笑ひながらそれは大方昨年頃の話でしやう、今では何でも外にお極りなすつたとか聞きましたよ。ソーと君子は少し首を傾けしが、さすがに我が方へ申し込めりともいひかねて、では大方話した人が知らないのでしやう、それなれば宜しいがといひしが、なほ安心なり難くてや、またもや花子に念を押し、ではあなたきつと甲田さんではないのですネこれには花子もちとたゆたひしが、かつて学校に在りし時なぶられたる事もある身かつはうしろめたき点もあればにや、いいゑ違ひますとの確答を与へぬ。君子はこれに安心して、往きは重荷を載せたる肩も、返りはかるかるとなりし心地せしが、さて我が家の門近くなりて見れば、これよりはまた我が身の上なり。花子のこれに似寄りたる縁談にも注意を与へしほどの我なれば、たやすく肯はむやうはなし。されど父母のかほどまでに進めたまへるものを、何と断りてよきものやらと、ふと考へ出しては我家の閾も高く、いつも家路を急ぐ身も、今日は何とやら帰りともなき心地もしつお帰りと叫ぶ車夫の声にも、ビクリと胸を轟かせぬ。
 母は君子を待ち侘びたるらしく、大そうお前遅かつたネー、何しろ寒いだろうから、早く火燵にお這いり、平常着も前刻にから掛けさせてあるから、三ヤお前旦那の御用に気を注けとくれ。私は少し嬢さんに話があるからと、一刻も早くその様子を聞きたげなり。君子はとやかく思ひ悩めど、さて花子の方の案に違ひたるを、包み得べくもあらぬ事なれば、拠なく有りのままを告げたるに、母はさもこそとしばしばうなづきて、さうだらうともさうだらうとも私もまさか[#「まさか」は底本では「さまか」]とは思つたのだけれど、あまりお前が気にするもんだから、とうとう釣込まれてしまつたのだよ。朝からお父さまが君はどうしたどうしたとお聞きなさるもんだから、拠なくその事を申し上げると、馬鹿に念のいつた奴だと大笑ひに笑つていらつしやつたよ。ああこれで私も安心した。この上はお前もいざこざはあるまいと、これもまた異存なきものに極めし様子なり。君子はとかく心進まねど、さて花子に注意を加へたる筋の事などは、父母の前にいひ得べくもあらぬ事なれば、ただ今しばらく独身にて在りたい由乞ひけるに、父はこれを我儘気随意とのみとりて、それ程の事は親の力にて抑へ
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