。御当人様ではまるで奥様を、お探しになるやうな思召、婢《てかけ》妾《めかけ》といふやうなものでは、とてもそれだけの用に立たない。その当人の器量次第では、妾と思はぬ、奥として待遇《あしら》ふほどに、そこを万々承知して一ツよい奴、いゑ何よいお嬢様上りのものを、周旋してくれまいかとの、仰せを蒙りましたので。なるほどこれはごもつともと、私も首をひねりまして、是非どふかお世話をと、存じますのではございますが、さてさうなりますとむづかしいもので、私もまるで御|媒介《なかうど》の、大役を仰せ付かつたやうなもの。お妾様ではないないの、奥様と申すがむづかしいところどうもちよつとござりませぬので。ヘヘヘヘいゑ決してこちら様の、お嬢様をと申す訳ではござりませぬ。お懇意なお先にでも、ひよつとそんな方が、いらつしやいますまいかと存じまして。ヘヘヘヘいやどうもむづかしい探し物で』
としきりに妾といふを気にする様子を、年増は別に心に留めず。
『いいじやあないか、お妾だつて。それならまるで奥様同様だわね。それで何かえ、お手当はどういふんだえ』
『へいそれはもう、どうでもお話がつきませうでございます。華族様の若殿様でいらつしやる上、二三年前外国へ御修業にお出になつて、私共には分りませんが、何だか片仮名で有難さうな、お肩書が付いてゐるんでございますから、ただ今は御自分様で、お小遣金は御充分に、お取りになつてをりまするところへ、親御様から表向きの、お手当はあらうと申す訳でございますから、失礼ながらお二人や、お三人口位は、楽々とお過ぎになる位の事は、充分に出まする見込でげす。どうせあなたそれでなくちやあ、埋まらない話でございますからヘヘヘヘいやまたどうにもその辺は私が』
と存外|談話《はなし》のてうし[#「てうし」に傍点]もよく、運ぶ肴の前に並べば。
『そりやあいい話だね。まあ一ツお飲《あが》り。私もおあひ[#「あひ」に傍点]をしやうから』
と、一口飲みて中井へさし、それよりは二人にて、さしつ抑えつ飲みながらの密議、互ひにしばしばうなづき合ひ。
『じやあその返事次第、歌舞伎座へ是娘《これ》を連れて、ゆくとしやう。お前の方でも手ぬかりなく』
『それは万々承知の、助六は堀越が一世一代、その狂言の当りよりも、こちの揚巻さまが大当り、やんやといはせて見せまする』
『ホホホホ、お前の承知も久しいもんだ。いつかの写真が、やうやく今日御用に立つたといふ訳だから』
『これはきついお小言、ありやうは奥様と申すに、あまりどつとした口はないもので』
『それはいふだけお前が野暮だよ。旦那のお顔に対しても、こちらからはどこまでも、生真面目に出掛けらあね』
『いやこれは重々恐れいつたいは、こんな事にひけとらぬ中井才助、今日といふ今日、始めて一ツの学問を』
『ホホホホ馬鹿におしでない。そんな事はどうでもよいから、そこをどうぞ甘《うま》くね』
『もちろん仰せにや及ぶべきでげす。じや奥様これでお暇乞を、明日は早朝に先方へ参りまして、茶屋と日限を取極めました上、いづれ重ねて御挨拶を。随分重くろしいのが、気に入る方でございますから、当日はお嬢様極彩色でお出掛を』
と、無礼の詞も慾故には、許す母娘《おやこ》がにこにこ顔。おさうさう様といふ声も、いつになき別誂へ。小女までも心得て、直す雪駄のちやらちやらと。揃ひも揃ひし馬鹿者めと。鍵の手になりし三畳の間より、ぬつと出で来し一人の書生鼠にしては珍柄の、垢染の浴衣腕まくりして、座敷の真中にむづと坐し、罪なき皿小鉢睨め廻すは、この家に似合はぬ客人なりかし。
その五
そもこの男を誰とかなすと、この人の出端だけは、堅くるしく、書かねばならぬ大村一郎。ついでながらその身の上のあらましを記すべし。
一郎が父耕作といふは、かつても彼がいひし通り、宮城にては、隠れなき旧家の大地主。その分をだに守りなば、多額納税の、数にも入るべき身上なりしに、小才覚ありて素封家には、似合はしからぬ気力ありしが、その身の禍、明治も廿、廿一の、政海の高潮四海に漲りて、大同団結の大風呂敷、ふわりと志士を包みし中に、捲き込まれての馴れぬ船出、乗合とてはいづれを見ても、某々の有力家、その来往を新聞に、特書せらるるほどの国士ながら、金力には欠乏を感ずる饑虎の羊となりて、耕作が前にはやつちややつちや、下へは置かぬ待遇方《もてなしかた》。某の伯爵殿の前にも政客の、上坐を占むる客将の楽しさ、なかなか小作の与茂作や太五兵衛に、旦那旦那と敬はるる類にあらずと。一足飛びのゑらもの[#「ゑらもの」に傍点]に成済ませし、嬉しさの込み上げて、それよりは東京住居、家族も芝辺に引取りて、やれ何倶楽部の集会で候の、政社組織の準備のと、とかくに金の要る相談掛けらるるも、乃公《だいこう》ならでは夜の明けぬ、頼みある中の同盟やと、ぐつと乗地のきた南。東西へ遊説の費用までも引受けて、瞬く隙に財産を蕩尽せし壮快の夢、跡をひきし廿三の春。敵味方入り乱れの戦場に、三百の椅子のその一ツを、占しが因果同志との、悪縁これに尽くる期を失ひて、なほも丹心国に許す、殊勝なる心掛を、新聞屋の京童は嘲りて、田舎議員の口真似を、傍聴筆記の御愛嬌に売る心外さ。その新聞の伝はりては、ゑらものと誉めし郷里の親族までも、酔狂ものと指弾する、表裏反覆頼みなの、世の人心を警醒の、木鐸となる大任は我が双肩に、かかる奴等を驚かさむは、政党内閣の世となして、乃公は少なくも次官の椅子を占むる時にこそあれと、力めば力むほど要る費用、なかなか八百の歳費では、月費にも足らぬ月のあるを、国許より御随行の奥方は危ぶみたまひ、形の通りの御諫言もありしかど、婦女《おんな》幼童《わらべ》の知る事ならずと、豪傑の旦那殿、一口に叱り飛ばしたまふに、返さむ詞もなさけなの、家道の衰へ見るに忍びず。その心配の積り積りて、軽からぬ御いたつき。そを憐れとは見たまはで、政事家の妻たるものが、そんな小胆な事では、とても今后の乃公には伴はれぬ。かの泰西大政事家の夫人を見よと、奥方はかつて聞きたまひし事もなき、むづかしき名を数へ立てたまひての御説諭。分らぬながらにごもつともと聞かねば、その場が納まらねど、納まりかねるお胸の内。旦那殿にはこの三四年、物の恠がついたさうなと、お熱高まりし夜の囈語《うわごと》にも、この言をいひ死にに。これも間接には国事に殉したまひし憐れさを、旦那殿はかへつていひ甲斐なきものに思ひ捨てたまひ。それについてもかねてより、秘密会議の席をかねて、赤阪に囲ひ置く妾のおあか、かれは大年増の芸者上りだけに、図太いところが好個の資格と、さすがは藩閥攻撃の、旦那殿程ありて、やはり野に置け蓮花草の、古句法には※[#「てへん+勾」、第3水準1−84−72]らず。これを草莽に抜きたまひし御卓見、小子一家の内閣は、早交迭を行ひしぞと、笑談交り、真面目半分、吹聴したまふ事もありしとかや。
さればさしづめおあかの方は、一郎が母となりし訳なれど、稚きより剛気の一郎、なかなかこれを母と呼ぶを肯《がへ》んぜず。おあかは無理にも、息子待遇にせむとするを、こなたはそれに抵抗して、母といはじの決心堅く。十三の春おあかが奥方となりし年の翌年、父に乞ひてある漢学先生の家塾住居。稀にも家へ帰らねば、双方が胸の高潮は昂まりながら、幸いに甚だしき衝突もあらで、一二年は大村が家も、無事大平の観を呈しき。
おあかはその間に万事己が意に任せて、したきほどの栄耀し尽くし、一郎が事は少しも搆はねど。一郎が妹とくといふは、女の子だけに己れに手なづけ、姿容《きりよう》のよきを幸ひに、玩具代はりの人形仕立、染れば染まる白糸を、己が好みの色に仕入れ、やがてはしかるべき紳士の奥方に参らせむ心の算段。何かにつけて議員さまの、奥様は、こんなものぞといはぬばかり、妙なとこまで旦那殿が、お名前の張持出して、外交に伴ふ内政の方針、これまた無鉄砲なる大仕掛に。驕るもの久しからぬ、四年の任期疾く過ぎて、次回再選の運動費は、出処進退|谷《きわ》まりし、脊に腹は代えられずと、一時の融通齷齪たる、破れかぶれの大功には、はや細瑾の省み難く。首も廻らぬ借財の、筋の悪きを聞付けて、得たりや応と攻め掛けし、反対党の爪牙《さうが》に罹り、そが煽動の出訴により、思はぬ外の監獄入り。世を落選の耕作が、万事休せし一期の淪滅、家の激動、一郎が学びの窓を破壊して。書に親しまむ少年の、春は柳の千縷蕭條、いとくり返し読み得しは、紙より薄き人情の、立つて歩行くが人の名と、思へばさして世の中に、誉れを得むの心はなけれど、冷笑痛罵の奴原を、驚かしくれむづの、心は期する将来の、大名故には螢雪の苦労を積まむ志、あれどもなきが如くする、君子の徳は養はで、執拗我慢の性情の、募り行きしも境遇なれや。この日猪飼を出てより、行くに家なき身のせつぱ、つまるところが父のもの、子が喰ひに行くに何の不思議と、苦し紛れの一理屈。日頃はこれも憤懣の、一ツとなりし継母の住居。父が難儀を傍観の、母娘二人が事欠かぬ、暮しは絶えぬ古川の、水の流れを売喰ひの、この小格子をおとづれしなり。
その六
おつかさんとはいひたからぬ、おあかの顔に瞳を据え。
『一体今の奴は、何といふ奴です。失敬極まるじやないですか、徳を妾になんて』
といふは我への面当と、おあかはわざと冷やかに。
『いいじやないか何だつても。お前あれを知らないかえ』
『何知るものですか、あんな奴ツ』
『ホホホホまたお株が始まつたよ。あれはね、ほら芝に居た頃、始終出入りしてゐた袋物屋さ』
『袋物ツて何です。どふせ正当の商売じやないでしやう』
『困るねえ、袋物は袋物さ。せいと[#「せいと」に傍点]の商売か、先生の商売か、そんな事は知らないが、何しろお父様もよく御存じの人だよ』
『……………』
『さういつちや気に入らないかしらないが、あれだけはよく感心に尋ねてくれるよ。外の者は随分御贔負になつた者でも、見向きもしないんだけれど』
『それがいけないです。彼奴《きやつ》為にするところがあるからです』
『何、為になんぞなるものかね、今の躰裁だもの。人をツ、私だつてそれ位の事は知つてるよ。まんざら人のおもちやにやあならないからね』
一郎はしばし無言、やにはに談話一歩を進め。
『それで何ですか、いよいよ徳を妾にお遣りなさるんですか』
『ああ仕方がないからね。さうでもしなけりやお前。二人の口が干上ツてしまわうじやないか』
『これやあ恠しからん。なぜそんなら妻に遣らないのです』
『ホホホホお前も未だ了簡が若いね。そりやその筈さ、自分では一廉《ひとかど》おとなのつもりでも、まだ兵隊さんにも、行かれない年なんだからね。まあよく積つても御覧、お父様はあんなだし、荷物といつちや何一ツ出来やうじやなし。それで何かえ、立派な方がお嫁に貰つてくれますかえ』
『そりやあります、先さへ好まなければ』
『さうさ、大きにさうさ、それでもよくまあ感心に、先さへ好まなけりやあといふ事を、知つてお出だね。それならば話すがね、なるほどお前のおいひの通り、巡査か、小学校の先生位のところなら、これでも御の字で貰つてくれやうがね。それではお前|此娘《これ》の一生も可愛さうだし、また一人ツぽちになつた、私は誰が養ひますえ、お前は今でもたくさん家に、財産《もの》があるとお思ひか知らないが、さうさう居喰も出来ないよ。今までだつて、私が遣繰《やりくり》一ツで維持《もた》せてゐたればこそ、居られたもの。そこへお前が帰つて来ては、三人口の明日の日を、どうして行かうといふところへ、お前は少しも気が注かぬかえ。それとも代言さんの許《とこ》に、二年ほども居た身躰、見ン事お前の腕一ツで、お父様のお帰りまで、私をどうにかしておくれかえ。そこさへ極まれば私だつて、お徳を妾に遣りたくあなし、直ぐにも思案を変えやうわね、さあその返事をしておくれ』
弱身につけ入る強面、憎しと思へど母といふ、名には叶はぬ痩腕の、油汗を握り詰め
『そ、それは無理です、私は未だ修業中の身躰です』
『それ御覧、それならお前も無理じやないか。修業中
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