人の方より主人の相場入るるを、奥様夢にも知りたまはば、さても東京は恐ろしい所と、この一ツでも呆れたまふべけれど、全く御存じなき内が、田舎の香失せぬ、有難きところなるべし。
されば上は玄関番の書生より、下は台所の斑に至るまで、勤めやうでは、勤めにくくもなき筈を。いかはしけむ、書生の一人、大村一郎といふ無骨もの。これのみはとかく奥様の御意に召さず、またしてもお小言戴くを三の笑止がり。あの奥様は威張らせてさへ置けば御機嫌よきに、逆らひなさるから、お前様は損だよ。手よりは口の方上手に働かすが、このお邸の肝要ぞやと、六韜三略《りくとうさんりやく》無束脩《むそくしゆう》に皆伝せし深切を、一郎は有難しとも一礼せず。それは婦女子のすべき事だ、僕なんぞにそんな事は出来ぬ、またする気もない。有りのままでお気に入らずばそれまでだ、お前なんぞの指図は受けぬと、強情ものの一徹に、いふて除けしを、むつと癪に障え。それよりは矛を倒《さかし》まにして、とかく一郎の事を悪しざまにいふ、曰く因縁御存じなき奥方は、これをも三が忠勤の一ツには数へたまひながら、相変らず襟一掛をとのお気は注かぬに、どれもこれもと、三はおのれ一
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