境遇にも変化を与へず。心裡も平和に過ぎ去りしに。俄然政海の、光景は一変して、頼みきつたる民党の、かれもこれも猟官沙汰。前車の覆轍、後車なる、開明党の殷鑑とはならで、因果はめぐる小車を、我も己れもと轢らせつ。人の失意を我が得意、出世の門に急ぐなる、その失躰は前車といづれ。誰も鴉の雌雄は知らねど、鷺を鴉と争はれぬ、暗き心根世に知れて、絶えぬ噂はこれ一ツ。駿馬の骨のそれならぬ、国士の果てはさても重宝。死しても皮を留むなる、獣の皮は幾十倍、高値《たか》く売れても、人といふ、その価の下がるが気の毒と。世間の評判朝夕に、一郎が耳にも伝はれど。ともすれば熱血迸らむとする政談に耳傾くるは、今の青年時代にあらじ。父が出獄もほど近きにと。わざと冷淡を装ひて、素知らぬ顔の一郎が、聞き捨てならぬ一報の、またもや耳辺に轟き来ぬ。そは一郎が唯一無二の師と頼みて、その高節を仰ぎ、その徳量を慕ふなる国野為也の。近日挙げられて某省の次官となるべく、またこれを承諾せしといふ一報なり。
 さあれ風声鶴涙に驚きて、先生の清操を疑ふは、知遇に負《そむ》くの罪大なりと。わざわざ小田が耳語を一笑に付し去りし一郎も。さすがに全くは忘
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