ありと。なほも孜々《しし》机にのみ倚りかかる。不性を咎むる奥様のなく、三も大勢の書生様の噂、一々身に引受けむ暇のなければ、幸いに女性の崇りはなけれど。今年十五の御愛嬢、母御におくれたまひしが、もの読む事を好みたまひて。一郎が不骨なるその代わり、他の書生輩の如く騒々しからず。丁寧綿密にその質問に、応じくるるが嬉しさに、大村大村と慕ひたまふ。これのみいつも婦人を、敵に取りし一郎の、上もなき有難迷惑ながら。その無邪気にて清楚なる姿容、凜たる気性の寒梅一枝、霜を凌げる趣ある。いづれはこれも師の俤と。なれてはさして迷惑ならず。せめてはこれを報恩の、一端にもと志す、殊勝なる心掛。さすがに性の順に復《かへ》りて、真面目の見へ初めしに、そのお覚はいよいよめでたく。国事の私事に忙しき御身も、今宵は珍らしく来客の絶えたればと、特に一郎を呼び入れたまふ。先生とは始めての対座、理想の慈父とは仰ぎながら、さてさし向ひては語らひし事のなき。身はさながらに恋人の、前に出たる処女の如く。他人にならば張肱の、拳の置き場はいづくぞと。やつとの事で膝の脇、かくし処を求めしが、精いつぱいの動作なりし。
先生は例の、淡泊なる
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