裡に送るが、それが短い日月でしやうか、父に取つての軽罪でしやうか。父の生涯と、自分の生涯は、これでもつて全く葬られてしまつたんです。栄誉ある家系に、拭ひ難き汚泥を塗られたんです。それでもあなたは、軽罪とおつしやるですか。えツ』
 骨鳴り、肉躍る少年の気色に、弁護士少し敬重の意を傾け、自から詞も丁寧に、
『いや失言しました、ごもつともです。もつとも再審は御請求なさるでしやうな』
『もちろんしました、二回まで上告して、二年の時日を未決檻に、空しく送つた上の今日です』
『なるほど』
『実に今の判官には目がないです。文字の外には、読むべき証拠を見得ないです。だから僕は充分法律を研究して、無辜《むこ》の同胞を救ひたいといふ、考えを持つてゐるんです。どうでしやう弁護士になるには、どの位かかりませう』
『別に造作はないです、四五年もやれば沢山です。一躰御郷里はどこですか、東北ですか、西南ですか』
『東北です』
『では宮城か、福島辺でいらつしやるですか』
『はあ先づその辺です』
 折から押丁の声として、大村耕作面会人、大村一郎――ツと罵るかの如く呼立つるに、少年はチヨツと舌打して、弁護士に目礼を施し、奮然として出で行きぬ。跡に弁護士殿は自問自答。
『ふむ、大村耕作といつたな、なるほど忘れてゐた、さうだ、それだ。では彼子《かれ》は国にゐた時分、七八歳だつたから、僕の顔を見覚えない筈だ。感心に気骨があるやつだ、今度逢つたら是非聞いて見なくツちやあ。随分大村には世話になつたんだから』

   その二

 神田鎌倉河岸の葬具屋に並びて、これも白木の看板麗々しく、東京地方裁判所所属弁護士、猪飼弁三事務所の、その名は満都に隠れあれど、まんざら三百でなきは、八百屋のお払ひ滞らぬにも知られ、米屋酒屋の掛乞よりは、訴訟人の足繁きに、さても東京は結搆な処と、東京の有難さ身に染みたる奥方の、詞のなまり、身のつくりも、やつとお国の垢抜けしに、我もいささか肩身広き心地してと、口の悪き三《サン》が湯屋での陰口も、露知りたまはぬ奥方は、三を唯一無二の、幕僚と信じたまひ、またしても旦那どののお手柄ばなし、今度は五千円の訴訟に勝ちたまひし、やがては一万円の公事にもと、耳のお正月はさせたまへど、ついしか双子の一反驕りたまはぬは、根がお国出の悲しさと、三はこれを御奉公の疵にはすれどそれだけまた勤めよき処もあればと、奉公
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