得にて、わざと声の調子を沈ませ。
『実に浮世でござりますな。これでもと申しては、失礼でございますが、私どもにとりましては、結構な住居でございますが、さう思召すも、御無理ではございません。あつは世が世でいらつしやいましたならば』
といふに年増は掌《て》を振りて
『もうもう、そんな時代な台辞《せりふ》で、私を泣かせておくれでない。それよりかお前この節は、たいそう景気がよいさうだから、もう幾度か歌舞伎座へ行つたんだらう。そんな話でもしておくれ。くさくさしていけないから』
『ヘヘヘヘこれは大失策《おほしくじり》、大失礼を致しました。ついおいとしいおいとしいが先に立つもんでございますから。肝要《かんじん》のお話が後になつて、禁句が先へ出違ひと、申すはこれも今夕の禁句ホイ』
と掌《たなごころ》にて我が額を叩き、可笑味《おかしみ》たくさんの身振にて、ずつと膝を進ませ。
『実はその少し耳よりなお話で伺つたのでございますがやはりおち[#「おち」に傍点]は歌舞伎座と申す訳。ヘヘヘ失礼ながら奥様お嬢様には、まだどちらへも御縁はお極りあそばしませぬか』
 こなたも耳よりなる話に、年増もぐつと乗出して、思ひ出したやうに手を叩き、氷と、そして何かお肴をと急に小女にいひ付くるも、現金なる主人振なり。中井はしめたと腰据えて。
『実はその何でございます。名前は少し申し上げかねますが、さる新華族様の若殿が』
『ふむむむむむ』
と冒頭第一、気受けよき様子に、中井はいよいよ乗地になり
『実はその若殿様と申すは、御養子様なんでいらつしやいますが。その奥方のお姫様と申すが、まだ十五のおぼこ気ばかりではなく。一躰にちと訳のある御|性質《たち》で、とても奥様のお勤めが、お出来あそばさぬと申すところから。そこは通つた大殿様、新華族様だけにお呑込みも早く。乃公《おれ》に遠慮は要らぬから、奥の代はりになる者を、傍《そば》近く召使ふがよいと。さばけた仰せに若殿様も、御養子のお気兼なく、お心のままと申す訳になつたのでございますが。さてさうなつて見ますると若殿様も、うつかりしたものをお邸へ、お呼びとりになると申す訳に、参りませぬと申すのもさういふ訳でございますから、奥方は表向きのお装飾《かざり》物ばかり、内実はそのお方が、御同族方への御交際向きから、下々への行渡り、奥様同様のおきりもりを、あそばさねばならぬ訳でございますから
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