て、見渡す限り錦なる花の都の花の山、水にも花の影見えて、下す筏も花の名に、大堰の川の川水に、流れてつひに行く春を、いづ地へ送り運ぶらむ。川を隔てて見る人の、顔も桜になりながら、まださけさけと呼ぶもあり。菓子売る姥の強ひ上手、甘きに乗りてうつかりと、渋き財布を解くもあり。人さまざまの花莚敷き連ねたるそが中を、夫婦に子供下女丁稚五人連れにて過ぎゆくは、これ近江屋の一群なり。お糸は日頃籠の鳥、外に出る事稀なれど、春の花見と秋の茸狩[#「茸狩」は底本では「葺狩」]これのみは京の習ひとて、いかに物堅き家にても催すが例なれば、庄太郎も余儀なく、世間並に店のものは別に出しやりつ、お糸は己れ引連れて、かくは花見に出でしなり。外珍しき女の身、殊には去年近江屋へ嫁ぎてより、あるに甲斐なき晴小袖、かかる時に着でやわと、お糸はさすが若き身の、今日を晴れとぞ着飾りたれば、器量も一段引立ちて、美しき女珍しからぬ土地柄にも、これはと人の眼を驚かし、千鳥足なる酔どれの酔眼斜めに見開きて、イヨー弁才天女と叫ぶがあれば、擦れ違ひざまに、よその女連のほんに美しい内方と囁きながら振返るが嬉しく、日頃は人の眼にも触れさせじと、中垣堅く結べる庄太郎も、今日は悋気の沙汰を忘れて、これみよがしに連れ歩行《ある》きぬ。
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これお糸ちよつと見いな、あの桜の奇麗に咲いた事なア、もう二三日後れると、散りかかるところやつたぜ。
さうどすなア、いつも十五六日頃どすけれど、今年はちつと早かつたと見えますなア。
さうやどこで休もな、三軒家あたりがてうどよいのやけど、あまり人が込んでるさかい、どこぞ外の処で。
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とは茶代の張るを厭ひてなるべし。折からとある茶屋の床几《しやうぎ》に腰掛けゐたりし、廿五六の優男、ふし結城の羽織に糸織の二枚袷といふ気の利きたる衣装《いでたち》にて、商家の息子株とも見ゆるが、お糸を見るより馴れ馴れしげに声かけて、
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これはこれはお糸さん、あなたも今日はお花見どすか。可愛らしいお子様の、いつの間にお出来やしたの。
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ちよつと庄太郎に会釈して、愛想よし。お駒の頭撫でなどするを、苦々しげに見てをりし庄太郎に、お糸は少しも心付かず、
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ほんにあなたは幸之介様でござりましたへな、ついお見それ
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