つかり番頭さんに口を辷らすまいぞ。極内でわしに聞かしとくれ。おほかた旦那はこういうてはつたやろ。店の者の中でも、この三太郎は一番色白でええ男やさかい、あれにはキツト気をつけいとナそれ。
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アハ……と笑い転げる長吉をまた一人が捉へて、
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なんのそんな事があろぞい。三太郎はあんな男やさかい気遣ひはない、向ふが惚れてもお糸が惚れぬ。それよりはこの惣七。あれがどうも案じられると、いははつたやろ。
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いふ尾についてまた一人が、
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三太郎ツどんも惣七どんも、その御面相で自惚《うぬぼ》れるさかい困るわい。お糸さんの相手になりそなのは、わしの外にはない筈じやがな、ナ、ナ、これ長吉ツどんナ旦那の眼鏡もそうやろがな。
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銘々少し思ふふしありと見えて、冗談半分真顔半分で問ひかかるをかしさを、長吉は堪《こら》へて、
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へいへいただ今申します、旦那のいははりましたのには、店の奴等は三太郎といひ、惣七十蔵、その他のものに至るまで……
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といひかければ、早銘々得意になりて、我こそその心配の焦点ならめと、一刻も早くその後を聞きたげなり。長吉は逃支度しながら声色めかして、
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いづれを見ても山家育ち、身代はりに立つ面はない、長吉心配するに及ばぬといわはりました。
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といひ捨てて、己れ大人を馬鹿にしたなと、三人が立ちかかりし時は長吉の影は、はや裏口の戸に隠れたり。跡にはどつと大笑ひ、中にも番頭の声として、
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やはりお糸さんが別品《べつぴん》やさかい、皆なが気にしてると見えるな。旦那の心配も無理はない。死んだ先妻のお勝さんといふは、よほど不別品やつたといふ事やけど、それでも気にしてゐやはつたといふこツちやさかいな。アハ……番頭さんもお糸さんを、別品やというて誉めてる癖に、我が事は棚へ上げとかはるさかいをかしいわい。
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同士討ちの声がやがやと喧《かまびす》し。かかる騒ぎも広やかなる家の奥の方へは聞こえず。お糸は夫を出しやりて後は、窮屈を奥の一間に限られたれば、飯時の外は台所へも出られぬ身の、一人思ひに沈める折ふし、先妻の子のお駒といひて、今
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