から、今日は肉も肴も要らない。あつさりとしただし[#「だし」に傍点]で、冷素麺ならば造作もなからう。この間某の宅で振舞はれし、それは実に甘《うま》かりし。あれは実に幸福だ、細君が料理の上手故にと、あてこすりの誉め詞は、確かに我を批難の心か。さても憎し縁側で、髭をひねるその手間で、なぜこの台所の忙しさ、手伝ふては下されぬかと、奥様のお腹立はまた一倍。なんでもない事冷素麺、それはかうするものであろと、さつと一杓水かけて、すすぎし上のゆで加減、何とでござんす良人《あなた》と、この頃の信用恢復に、鼻もたかだかさし付くるつもりなりしに、青菜に塩のそれならぬ、生素麺に水の奇特。さても不思議やめちやめちやの惣潰れ、打つて一丸となすべきも、引延ばされぬ時間の切迫。まだかまだかとせつかるる、奥様ははや絶躰絶命。この失策を披露しては、またまた相場が下がるであろと、思ひ付きの急腹痛あいたあいたとうめかかるに旦那様も大|吃驚《びつくり》。どこぢやさすつてやらうかと、ひだるきお腹に力一ぱい、お部屋へ扶け入りたまひての御介抱振。まんざら御愛情の失せしでもなき御様子に、奥様もほつと安心の、その次にはお気の毒、始めて
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