夏はその綿と裏とは無情にも、きつつなれにしつまを剥がれて、行李の底に追ひ遣らるるなれど、われてもあはむ冬を待てば、再び三位一体の、世になり出る春衣ともなりて、年一年をこの人の身に附き纒ふなれば。口さがなき下女どもはこの人のまたの名を大名縞のお客様といひはやしぬ。
 これに我も疾くよりその御名は聞き知りしかど、見ればかく御身装のやつやつしきには似たまはで。外の我は顔に親譲りの黄八丈、さては黒奉書の羽織に羽ぶり利かしたまふ人よりも、幾層立ち勝りたまいしお人品《ひとがら》のよさ。見るからに何となく床しく覚ゆるさへあるに、若き人に有りがちの、戯れ言などいひたまひたる事はなく。結びがちなる口もとの、どこに愛嬌籠りてや、えもいはれぬ愛らしさは、女子にしても見まほしきに。威ある御眼は男の中なる男ぞといはでもしるきその輝き、あはれいかに幽玄の学理とやらむも、方様のお眼に照らされてはと、頼もしげなる心地もせしが、そもやそも我迷ひの初めにて。それよりは何となくその人の朝夕に気を注くるに、年は廿歳のお若きには似ぬ物堅さ。朝は我が台所のものよりも、先だちて起き出でたまへば、睡き眼を母様に起こされたる下女の、ま
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