もしばしの程ぞ辛抱せよ、二月三月を経る内には、事に托して遠方へ引越し、これまで通り内には迎へ取るべければと。その場を体よくいひ黒めたまひて、支度もそこそこに出で行きたまひたる、あまりの事の早急に、母様の訝しみて駈付けたまひたる頃は、方様の影ははや北神保町の辻に消えて、我はその人の書斎の跡に、正体もなく泣き伏せる時なりき。
 されどその翌日より、方様は三日にあげず我が方へ来たまひて、他事なく語らひたまふ様子に。母様も我も少しは心落居しに、こなたの心解くるにつれて、かなたの足は次第に疎く。果てはここよとの便りもなきに、さすがは母様のいたく訝らせたまひて、心利きたるものにその様子探らせたまへつるに。思ひきや方様の方には、疾くより赤手柄の奥様居まして、やがては腹帯《おび》もしたまはむとの噂。さるにても大学へはと聞けば、いなさる様子はなし、今も奥様の父御のものなる会社へ通ひたまふなるが。社長様の恋聟君とて、人々の敬ひ大方ならず。月俸も以前には増したまひたる上、奥様にもお扶持つきて、それはそれは贅沢なおくらし。その上その奥様といふも、お扶持付きには似合はしからぬ御器量よしと、近所の息子もつ親の、さ
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