たまはで、快うもてなし愛子《あいし》の顔など見せたまふに。我もここぞとさりげなくもてなして、さてもおか愛らしいお坊ちやまの、お眼もとは旦那様そのままにて、一体のお顔だちは奥様似。ほんにこれ程《まで》お羨しい赤様の和子様にては、生ひ立ちたまふお行末が御案じ申されまするなど。あるほどの世辞いひたりしに、子を誉められて嬉しからぬはなき世の親心。これにその奥様も我を隔なきものに思ひたまひてや、また折あらば 遊びに来よといはれしをしほ[#「しほ」に傍点]に。日ならず再び訪《おとな》ひ行しに、方様もさすが我が出入りまではとめ置きたまはざりしと見へて。いかがやと気遣ひし心の外に、奥様またも快く呼び入れたまふに、我は先ず心落居て。それよりは、いかにもしてその人に、馴れ親しまむの心より、万事につけてその奥様の御意迎へしに。その後は金満家のお嬢様とて、何のお心もつきたまはず、よきはなし相手を得たりとや。こなたより訪はぬ時は、かなたより迎ひのもの、遣はさるるまでの上首尾に。我は我が事はや半ばなりぬと喜ぶ隙にも、方様はさすがお心咎めてや。人なき折を見ては我が傍へさし寄らせたまひ、これにはいろいろ訳ある事なるを、何事もしばし堪忍せよ、その内我も折を見て、ゆるゆる話にゆくべければと。上手にいひまわしたまふそのお口こそは、曩《さき》の日に我を賺《たぶらか》したまへるお口よと。我は聞くも恐ろしく腹立たしけれど、いづれに覚悟は極めし上の事、末のお約束だに変はらせたまはずばと、手軽くいひしを真に受けてや。後には方様も心おきたまはで、我が前をも憚らず奥様との睦まじげなる御素振り、見て見ぬ振りの我は万事、思ひあきらめたるさまに心を許させ。一方にてはそれとなく奥様に、方様大学入門の事、さては洋行の事などから問ひしに、これのみはと思ひきや、いづれも跡形なき空事にて。ただのちのちのあらまし事といふは、父御の資産の幾分と、かの製薬会社とを、その奥様につけて譲り与へられむのみと聞くに。いよいよ我が欺かれつる事の一ツ二ツならぬをも覚りて。これに我が心も定まりたれば、それよりはひとしほ心を入れて、我は和子の春雄様を手なつけしに。やうやう喰ひ初め過ぎの赤児《みづこ》ながら、いつしか我が手心を覚へてや。我が手に抱き上ぐるも、泣き出ぬまでになりしかば、はやよき時分と、我は近所の人々には、母の身まかりて心細ければ、故郷へとのみ
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