の辺にありしか。美しき彼女の眉か。涼やかなる彼女の眼か。さらずは閑雅なる挙止か。朗らかなる声か。はたまた富胆なる才藻か。これらのものもとより、一瞥の価値なしとせず。しかれども予は、彼女の外においてもまた、これらのものを見たりし。されども予は少しも、心を動かす事なかりき。ただし彼女において、異様に感ぜしところのものは、かれが身より、放つところの霊光にてありき。彼女が、人を清くし、人を優しく化する。何とも名づけ難き気に感ぜし時は、これ既に予が、恋の人となる始めにてありき。今や予が意識、予が情想はことごとく彼女の事についてのみ働く。予はその外には、何事をも知らず。思ふに今もし人ありて、自刃を予の頭の上に加ふるとも。予はこれを避くることにも気付かざるべし。ああ予は憐れなる人と、なりたるかな、否予てふ人間は疾《と》くに亡《ほろ》びて。今はただ恋愛の、分子より成立てる一肉塊が。彼女の為に、生きて動けるのみ。ああさてもさても。
いでさらば予は、この一肉塊としての予が。今や何を考へ。また一意専心に、何を企てつつ、あるかを自白せむ。予が友は、予が未だ、恋をなせりと、心付かざりし以前にありて。早く既に予をば、彼女に意あるものと察して。予の為にともに、彼女の経歴を説き、目下の境遇をば語り。彼女はとうてい、何人《なんぴと》とも、婚姻をなすまじきものなりといへり。予は彼女が、婚姻をなすべき人にてあると否とは。もとより予が彼女を、恋ふるにおいて差し支へなき事なれば。予はこれが為に、別に失意をもなさず。されども、その婚姻をなさずといへる原因は。彼女がかつて、清からぬ男子によりて、その性情を損なはれ。それより一般の男子について、全く絶望せるが故なりといへることを聞き。予はなほなほもつて、この一身を、彼女の為に、捧げむとは、決意せしなり。されども予は、元来恋には無経験なるものなれば。いかにせば彼女が、身辺を纒へる漠々たる愁雲を、払ひ得らるるか。またいかにせば彼女が、胸を塞げる、憂いを開くの鍵となり得らるべきか。これらの事については、予は実に三尺の童子が。宇宙間の大問題に関して、問を発せられたるよりも、なほかつ困難に思ふなり。先づ試みに彼女に対して、あらゆる力を致すの、一親友たらしめよと、いひ送らむか。否彼女は、容易に男子に、信を措かざるべければ。予が未だ彼女に知られざるに先だち、さる事を、いひ送りたらむには、かへつて彼女の、憂いを添ふるの、種子とならむも知るべからず。さらば予はむしろ、予が親友の中《うち》につきて、もつとも性情の優しき人を選み。しかして彼女を、慰むるの友とならしむべきか。否々これも覚束《おぼつか》なし。たとひその性質は、いかに、優しくとも。彼女を熱愛せざる者にてはとうてい彼女の心を、和らぐることあたはざるべし。ああ予は彼女に、高潔なる愛情を有する点においては、恐らく予に及ぶ者なかるべしと、自らも信ずれど、ただ予が元来武骨者にして、その方法を知らざるに苦しむなり、予が数日来の懊悩煩悶は、即ちこれに外ならず。なほ一言すれば、予は彼女をば。失望の中に救ひて、多望円満の人とならしめずんば、とうてい心を。安んずることあたはざるなり。この点より思へば、予はむしろ、予が恋愛の、かの人において、成就すると、否とを問はず。誰人にてもあれ、予よりも数等優れる人が出で来りて。予の如くに、彼女を愛しくれ、しかして彼女をして、恋愛を感ずるの、幸福なる人とならしめ得なむには。予は予なるこの一肉塊が、彼女の前に、無益なる供へ物となりて、いたづらに滅尽し去ることあらむも、予は少しも、遺憾とは思はざるなり。むしろ彼女の為に、これを冀《こひねが》ふの、至当なるを信ずるなり。(『女学雑誌』一八九二年一〇月一五日)
底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化
1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
初出:「女学雑誌」
1892(明治25)年10月15日
※底本では、文末の日付に添えて『女学雑誌』を示す記号として「*」を用いていますが、『女学雑誌』に直しました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2004年9月20日作成
2005年11月5日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
清水 紫琴 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング