りの手拭、だらし[#「だらし」に傍点]なく肩に打掛けて、仕事着の半纏も、紺といはれしは、いつの昔の事やらむ。年月熟柿の香に染みて、夜眼には鳶とも見紛ふべきが、片肌はぬげかかりて、今にも落ちさうなるには心付かねど、さすが生酔の本性は違はでや、これも人の住家にやと、怪しまるるあばら屋の門辺にて立止まり、
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 ここだここだ違げへねえ違げへねえ、いくら酔つても、この家を、覚えてるところがえれえぢやねえか。じやアお月様、御免なさいし、毎度どうも有難うがす。
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 振向きたるまま、さらでも倒れかけし表戸に、ドサリ身を寄せ掛けたれば、メキメキと音して戸とともに転げ込みし身を、やうやくに起こして、痛き腰を撫でながら、
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 チヨツ危険ねえや、こんな戸を鎖しとくもんだから、ヲイお千代火を見せてくんな、まるで化物屋敷へ踏ン込んだやうだ。
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 呼べど答へなきにニタリと笑ひ、
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 ウウ山の神はもう寝ツちまつたんだな、まづは安心上々吉の首尾だ。また遅いとか早えとかいつて、厳しい御託を蒙らうもんなら、せつかくの興も醒めて、翌朝また飲直しと出掛けなくツちやアなんねえのだ、ヤツコラマカセ
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と戸を飛越えて、
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 南無八幡ぢやアなかつた、山の神大明神、この酔心地醒まさせたまふなかハハハハ
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 興に乗りて柏手一ツ二ツ叩くを、前刻より寐た振りして聞きゐたる女房、堪へかねてや、かんばり[#「かんばり」に傍点]たる声張上げ、
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 何だよお前今頃に帰つて来て、何を面白さうに独りで饒舌《しやべつ》てるんだ。もう疾《と》くに最終《しまい》汽車は通つてしまつたよ。早く這入つておしまひな。馬鹿馬鹿しい、近所合壁へも聞こえるや。
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 小言ききながら手暴く枕もとのかんてら[#「かんてら」に傍点]ひきよせて、マツチも四五本気短く折り捨てたる末、やうやくに火を移せしを見れば、垢にこそ染みたれ、この家には惜しきほどの女房なり。
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 いや有難てえや、早く這入れとは、神武以来の御深切だ。実はかうなんだ、あまり閾《しきい》が高えもんだから、それでつい躓いたのよ。ぢやア真平御免なさいやしかハ
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