ひ出して、仕事にもゆかず、好きなお酒も飲まないで、寐てるんだ。おらアほんとにどうしやうかと思ふと、またおつかアの事を思ひ出したんだ。でもちやんはもう叱らないよ。おつかアの事をいつても……。ねえ伯母さんちやんはもうおつかアの事は怒つてゐないんだらうか。ねえさうだらうね。だからおらアまたそこら中聞いて歩行たんだ。おつかアを連れて来やうと思つてよ。
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 実《げ》にもとうなづく老女の顔を見て安心し、またそつと奥様の方をぬすみ見るに、目睫《めまじ》もせで我が顔をまもりゐたまふに気後れしてや、しばし行きつまりてまた覚束なき語句をつづけ、
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 するとおつかアは須磨の村雨亭といふお茶屋にゐると教へてくれたんだ。近所の桂庵の婆さんがよ。
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 怨めしさうに声顫はせて、
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 そりやア先から知つてたんだけれど、おつかアがいつちやアいけないといつたから、それで言はなかつたんだと。でもちやんが煩つてるものだからツて、内証で教へてくれたんだ。それも今朝の事よ。だからおらア直ぐその足で須磨まで行つて来たんだ。
 エ須磨まで行つたのかえ、よくまア独りで行かれたね、可愛さうに。
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と老女目をしばたたきて更に奥様の方に向ひ小腰を屈《かが》めて、
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 何でございますとね、これが独りで須磨まで参つたのでござりますと。
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 奥様も聞きゐたまふことを改めて伝達するも、あまりの事に感心してなるべし。奥様もしばしばうなづきたまひ、始めて優しきお声にて、
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 さう、そして分つたかえ。
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 老女に聞くともなく、かの子に聞かずとしもなく問ひたまへば、
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 ああ分つたよ、分つた事は分つたんだけれど……
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 大粒の涙をポトリポトリと落としながら、
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 おツかアは疾《と》くに大坂へ行ツちまつたとさ、何でも大坂から養生に来てた、金持の旦那に連れられて、行つたんだと。
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 この一句に老女は端なくも奥様と顔見合はせて胸轟かせつつ、忙《せは》しく子供に向ひ、
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 フム不思議な事もあるものだね、ではお前のおツかアの名は何
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