の聞きなさい。この中から太一が病気、それはそれは大熱で、とてもじやないが治癒《なほ》るまいと、かういふ村でも村中は、親類交際、素人より、親切なだけ心配する。中でもおれは、小僧の時分、太一には手習ひも教はつただけ、懇意も格別。この春太一がこの村へ、廿五年の久し振り、帰つてくれたその後は、兄弟同様、人一倍案じるにつけ思ひ出し。何でもここを出る時分、一人の乳呑はあつた筈。どこへ置いて来たともいはぬが、生きてゐるなら、報告せてやれ。もしもの事があつた時、跡の思ひが憐れぢやと、何遍いふても取合はず。旅の空で困つた時、親知らず子に遣つた。生死共に分らぬ娘、打遣つておいてくれ、逢ひたいとも思はぬと、ただ一口にいひ消せど。熱が嵩じた囈言《うわごと》には、またしてもお清お清といひ続け。春衛さんが大臣に、ならしやつて目出たいわ。嬉しやお清、嬉しかろ、逢はれぬが残念じや、逢はれぬ親の因果を見いと。二言目には、逢はれぬと、お清お清のその中には、春衛さんの、大臣が耳立つて。はてな、何でも子細があらうと、考へれば、なるほどな。噂の高い新米の大臣は、どれもこれも、一足飛びの出世の中に、今尾春衛といふ人が、確かにあるといふ事に。これはてつきり太一めが、東京に居たとはいはぬが、詞は隠せぬ東京訛り。よくある奴で遊所へでも、娘を売つたが縁になり、その春衛とかいふ人の、傍に居るではなからうかと。な怒つてはくれまいぞ、思ひ付きの当推量。それ程恋しいものならば、逢はしてやるも功徳じやと。二三日前、医師の奴、これはと首をひねつた時。ままよ、よしんば間違ふても、これが警察行にもなるまい。当るも八卦、当らぬも、八卦を当ててみるつもり。一時も早う来てくれと、藪から棒の手紙は書いても。東京の、処は分らず。大臣の春衛が内で、お清様。これがさうなら大当り、お娘が出て来て、二人共、喜ぶ顔を見る時に、おれが手柄を吹聴しやうと。太一には沙汰なしで、手紙を出したは、猿智恵か。先刻嬶が話では、何でも立派な女客が来たとの事。しめたぞやつぱり当つたか、喜ぶ顔を見て来うと、これこの様に、羽織まで、身装《みなり》をつくつて来て見れば。大あて違ひ、大|失策《しくじり》、帰れ去ねいと太一が小言。戸外で立聞く、身の辛さ。お娘が気の毒、可愛《いとし》さに、怒られるのは承知の上で、おれが出過ぎを白状する。な太一、新平の娘といはせまいとの心配。親の慈悲はさうでもあらうが、来たからは詮方がない。今日一日を打解けて、逢ふたからとて、このおれが、娘が男の名をいはずば。お前の娘と近所へ知れても、どこの何といふ素人に拾はれたとも知れずに済む。麁相《そそう》をした上、口賢ういふではないが、よ太一。天照大神八幡宮、春日明神三社を掛けて、誓ひを立てる。嬶はおろか、死ぬまでも、口から外へ出しはせぬ。安心して逢ふてやれ。なお清坊、そじやないか。お前はとんと知るまいが、おれは嘉平といふ太鼓屋、今年四十歳を出過ぎもの。お手のものだけ廿歳の頃、でんでん太鼓でお前が誕生、祝ふてやつた事もある。その時の稚な顔、これ程の女子になるとは夢じやてな。今の身分がどうであれ、我かおれかがこの村の、通り詞じや。はははは失礼のはつれいのと、詞咎めをせまいぞと。囁く際も内外に、心を配るは立聞きを、おのれに懲りて見張番。嘉平が立つ居つするを。じろりと太一は見る眼の憂さ。坐れ嘉平、今更それが何になる、とぼけた真似をするないやい。戸障子を塞いだら、世間の口が塞げるか。馬鹿めこれがどうなるぞと。怒りの声も、身の疲れ、枕抱えて吐く息の、深くも心痛むるを。お辛度からう、撫でさせてと、怖々さしよる清子が身は、心ならずも、撫でさする、父に劣らぬ憂き思ひ、さてはさうした身分かや。今までさへに里方を、謡はれしもの、この後が、思ひやられて浅ましや。よしこの上は重ねても、良人の家へは帰るまじ。身は新平のそれもよし、貴夫人と囃されて、親に事《つか》えぬそれよりは、新平とても人の子の、道は一ツを立ててこそ、人と生まれし甲斐はあれ。同じ人の子、平民を、など新旧には分ちしぞ。差別なしとは表向き、世の習はしは、新といふ、文字のすべてに喜ばるる、それに引換え、平民の上に冠《かぶ》りし新の字は、あらゆる罪と汚れをば、含めるもの、世の人に誤らるるも理や。昨日までも今日までも、良人《つま》に連添ふ我が身とて、平民主義を上もなき、真理と採りしこの身さへ、身を新平と聞き知りては。道理の外の新しき、汚れに染みし心地もする、我さへにさるものを。まして浮き世の位山、尊きを望む人心、卑《ひく》きはよしや衣と食を、姦淫に仰げばとて、新平ならぬを栄とする、世の人口《ひとびと》に何として、穢多ばかりかは、人口の心の汚れ、それこそは、実に穢多なりと質《ただ》さるべき。よしそれとても、今日よりは、ここを我が身の死に処。心
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