やま待遇《あしらひ》。我はそのお給仕に立ちて、お土産の人形様戴くが、嬉しかりし外、お耻しとは知らざりし身の、今更ながら浅ましく。今はさながら御別人の旦那様なれや。お立派なと思ふにつけ、お優しやと思ふにつけ、これでは奥様のお嫉妬あそばすものもと、この春以来、よそ事の御|縺《もつ》れでは、まんざら奥様にお道理つけぬではなかりし身も。我が事となつては、さう悠長な量見も出ず。覚えなき身を疑ひたまふ奥様は、真《まこと》に真にお怨めしけれど。旦那様は、お気の毒とも、勿体なしとも。たとへば、潦水《にわたずみ》に影やどす、お月様踏んだればとて、こんな心地はせまいものと、歎く我が身の不運さは、これに限りて、あやかりものとも思はれる、妙な心地もそれは昨日までの事。今は証拠と頼むべき吉蔵を、思ひの外に怒らせたれば、どんな告げ口しやうも知れず。さらでは、我を試さむとての、奥様のお外出、それといひ、これといひ、心にかかる事のみなるに。あやにくなる旦那のお帰宅《かへり》。一時の難は遁れても、遁れ難きはこの難儀。ああ何となる事やらと。思案に余る仲の間を、幾度かさし覗き。おおそれそれお召し替えは揃えてあれど、まだお帰宅はと油断して、お煙草の火は入れてない。これはどうしたものやらと。し慣れた御用も、今日こそは、迂濶にお居間へ、伺ひ難き身の遠慮。苦しい時の神頼み、悪魔でも大事ない。吉蔵さん吉蔵さんと呼んではみたれど。お長屋へ引下り、返事もせぬ意地悪さ。それもその筈、ああもどかしや、早う奥様帰らせたまへ、お客様でも来てほしや。南無天満宮、天神様も、俄なる信心の、胆に銘する柏手は、ここならぬ、奥の方。ぱちぱちぱちと、鳴るはお召しか、はあ悲しや、救はせたまへを口の裡。おづおづと伺へば。茶を一杯と仰せらるるに、お煙草盆も取添えて、なるたけ手早くさしあげつ、もう御用はと下り際。ちよつと待てとのお詞に、またもや胸はどきりとして、敷居際に畏りぬ。澄は悠然として、紫檀の机に憑《よ》りかかり、片手に紙巻《シガー》を吹かしながら『奥はどこか行つたのか』『はい滝の川へと仰しやいまして』『吉蔵は居たやうだの』『はい、ただ今まで起きてをりましたが、やはり気分が、勝れませぬと見えまして、部屋へ下つて居りまする』『さうか、それはてうどよいところ、汝《そなた》に話す事がある』と。仰面《あをのい》て、例の美麗しき髭を撫で上げ、撫で下ろし、幾度か沈吟の末『誠にどうも、気の毒な訳ではあれど、近い内、邸を出てはくれまいか』と。いひ放ちたる澄の顔には、みるみる憐れみの色動けど。頭を下げたるお園には、声なき声の聞き取れず。はつと思ふか、思はぬに、はや先立ちし、涙の幾行。これでは済まぬも、飲込んで、はいとばかりは、潔く、いひしつもりも、唇の、顫かかるに咬みしめて、じつとうつむく、いぢらしさ。澄は見るに堪えかねて、わざと瞳光《ひとみ》を庭の面に、移せば折しも散る紅葉、吹くとしもなき夕風に、ものの憐れを告げ顔なり。

 表門《おもて》の方には、奥方鹿子、忍びやかなる御帰宅《おんかへり》。三十二相は年齢の数、栄耀の数の品々を、身にはつけても、埓もない、眼鼻は隠れぬ、辛気さに、心の僻みもまたひとしほ。色ある花の一もとを、籬に置くのは気がかりな。床のながめとならぬ間に、どこぞへ移し植ゑたしの、心配りや、気配りも、空《あだ》に過ぎるも小半歳。思へば長い秋の夜の、苦労といふはこれ一ツと。添寝の夢も、団《まどか》には、結びかねたるこの頃に、深い工《たく》みの紅葉狩。かりに行て来て、帰るさの、道はさながら鬼女の相。心の角を押隠す、繻珍の傘や、塗下駄に、しやなりしやなりとしなつくる。途中からのお歩行《ひろひ》は、いつにない図と、二人の女中。訝りながら御門を這入る、まだ四五間の植込みを、二歩三歩と思ふ間に。さしかかつたる仰せ言。あれもこれも、急ぎの買もの、忘れて来たに、気の毒ながら、一走り、ついそのままで行て来てとは。ほんにほんにお人遣ひ、あられもないとお互ひに、顔見合はしても、逆らえぬ、お主の威光に、余儀なくも、西と東へ出て行く。様子を覗ふ吉蔵は、かねてその意や得たりけむ。御門脇なる長屋を出て、木立の影に蹲居《うづくま》るを。鹿子は認めて機嫌よく『おおそこに居やつたか。定めて旦那はもうお帰宅、どんな様子ぞ、見て来てたも。機会《おり》が好ければ、直ぐにも行く』と、いふも四辺《あたり》を憚る声。吉蔵は頭を掻き『それは万々、心得てをりまする。が奥様、今の先まで、それはそれは舌たるい。私でさへ業が沸《に》えて、じだんだ踏んだお迎ひが、これでてうど三度目でござりまする。同じ事なら、あんなとこ、お眼に懸けたふござりましたに。今はどうやらお幕切れ。惜しい事を』と残念顔。鹿子はきよろりと眼を光らせ『それを今更いふ事か、その為の汝《そち》なれば
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