を縮めたかと思ひますれば、胸も張裂ける様でござりました。なれども、私はこれも皆私の行届かぬ故と、観念致しまして、叶はぬまでもと、なほも不遇悲惨の裏に二年の月日を送りました。実に反動と申すものは恐ろしいもので、私はこの結婚後の二三年間において、いつとはなく、非常に女子の為に慷慨《こうがい》する身となりました。もつともその頃は、てうど女権論の勃興致しかかつた時で、不幸悲惨は決して女子の天命でないといふ説が、ようやく日本の社会に顕《あら》はれて参りました。私も平素好めることとて、家事紛雑の傍らにも、ときどきの新刊書籍、女子に関する雑誌などは、絶へず座右を離さず閲覧しておりましたものですから、いつとはなく、泰西の女権論が、私の脳底に徹しまして、何でも日本の婦人も、今少し天賦の幸福を完《まつた》ふする様にならねばならぬと、いふ考へが起こつて参りました。それ故、一つは自分の憂鬱を慰むる為、一つは世間幾多の婦人達の不幸を救はむとの望みにて、時々こむずかしきことなどを申す身となりました。さてそうなつてみると私の覚悟がよほど変わつて参りました。それまでは支那流儀に、ただ何事も忍んでさへゐればよい、自分の
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