幸福をさへ犠牲《いけにえ》にすれば宜しいといふ、消極的の覚悟でありましたが、この時からは、もはやそれにて満足が出来ず、どうぞ、私の不幸はとにかく、夫の行ないをため直して、人の夫として恥しからぬ丈夫《ますらお》にならせたいといふ、一歩進んだ考へになりました。それ故たびたび、真心の諫めを尽くして見ましたが、何分夫は私よりもはるか年もたけ、私よりも万事に経験を積んでおりますものですから、私の申す事は、容易に心に止めませんで、後には何か申し出しますと、またしても賢《さか》しげに女の分際で少しの文字を鼻に掛くるかと、一口にいひ消してしまふ様になりました。これも私のまことが足らぬからの事、私にそれだけの価値《あたい》がないからの事で、あはれ私に、モニカほどの力はなくも、せめて今少し夫の敬重を惹く価値《あたい》がありますなればと、そぞろに身を悔やむ様になりました。なれども破れた布はたやすくつくろひ難く砕けた玉は元のままにはなり難い譬への様に、そこにはまた様々事情があつて、とても私の力には及ばぬ様に思ひましたし、また私が傍におりましてはよしなき、反動を夫に与へて、夫の為にも、かへつて宜しくあるまいと存じましたから、とうとう心を定めまして、不本意ながらも、終に双方で別るる事となりました。それ故私はひたすら世の中の為に働こふと決心しましたが、私は記念の為にこの指環の玉を抜き去りまして、かの勾践《こうせん》の顰《ひそみ》に倣《なら》ふことにはならねど、朝夕これを眺めまして、私がこの玉を抜き去りたる、責めの軽からざることを思ひまして、良しや薪《たきぎ》に伏し肝は甞《な》めずとも、是非ともこの指環の為に働いて、可憐なる多くの少女《おとめ》達の行末を守り、玉のやうな乙女子たちに、私の様な轍を踏まない様、致したいとの望みを起こしたのでござります。
とはいへ今ではおひおひ結婚法も改まり世間に随分立派な御夫婦もござりますから、それらの方のありさまを見ますと、なぜ私は、ああいふ様に夫に愛せられ、また自らも夫を愛することが出来なかつたのかと、この指環に対しまして、幾多の感慨を催す事でござります。
ただ幸いに私の父は今なほ壮健《たつしや》で居りまして、大いに私の多年の辛苦を憐れんでくれまして、老躯がよしなき干渉より、あつたら若木の枝を折らせし事よとて、絶へず書を寄せて私を慰めてくれまして、今はかへつて私の志望を賞し、しきりに私を励ましてくれますから、私はこれを何よりの楽しみに、悲しき中に、楽しき月日を送つてゐます。ただこの上の願ひには、このこわれ指環がその与へ主の手に依りて、再びもとの完《まつた》きものと致さるる事が出来るならばと、さすがにこの事は今に……。(『女学雑誌』一八九一年一月一日)
底本:「紫琴全集 全一巻」草土文化
1983(昭和58)年5月10日第1刷発行
初出:「女学雑誌」
1891(明治24)年1月1日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
※底本では、文末の日付に添えて『女学雑誌』を示す記号として「*」を用いていますが、『女学雑誌』に直しました。
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2004年9月20日作成
2005年11月5日修正
青空文庫作成ファイル:
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