にぶらぶらしている種類の人間をきっと見たに相違ない。またはキャフェ・アングレへしばしば現われて、たった一人でシャンパンを飲んでいたり、それから競技場などで別に見物するでもなしにぶらぶらしているような男――彼はそうした種類の人間であった。彼はややおしゃれで、しかもどことなく風変わりなところがあった。こういったふうの人間は大抵どの航路の汽船にも二、三人はいるものである。
 そこで、僕は彼と近づきになりたくないものだと思ったので、彼と顔を合わさないようにするために、彼の日常の習慣を研究しておこうと考えながら眠ってしまった。その以来、もし彼が早く起きれば、僕は彼よりも遅く起き、もし彼がいつまでも寝なければ、僕は彼よりもさきに寝床へもぐり込んでしまうようにしていた。むろん、僕は彼がいかなる人物であるかを知ろうとはしなかった。もし一度こういう種類の男の素姓《すじょう》を知ったが最後、その男は絶えずわれわれの頭のなかへ現われてくるものである。しかし百五号室における第一夜以来、二度とその気の毒な男の顔を見なかったので、僕は彼について面倒な穿索《せんさく》をせずに済んだ。
 鼾《いびき》をかいて眠っていた僕は、突然に大きい物音で目をさまされた。その物音を調べようとして、同室の男は僕の頭の上の寝台から一足飛びに飛び降りた。僕は彼が不器用な手つきで扉《ドア》の掛け金や貫木《かんぬき》をさぐっているなと思っているうちに、たちまちその扉がばたりとひらくと、廊下を全速力で走ってゆく彼の跫音《あしおと》がきこえた。扉は開いたままになっていた。船はすこし揺れてきたので、僕は彼がつまずいて倒れる音がきこえてくるだろうと耳を澄ましていたが、彼は一生懸命に走りつづけてでもいるように、どこへか走っていってしまった。船がゆれるごとに、ばたんばたんと扉が煽《あお》られるのが、気になってたまらなかった。僕は寝台から出て、扉をしめて、闇のなかを手さぐりで寝台へかえると、再び熟睡してしまって、何時間寝ていたのか自分にも分からなかった。

       二

 眼をさました時は、まだ真っ暗であった。僕は変に不愉快な悪寒《さむけ》がしたので、これは空気がしめっているせいであろうと思った。諸君は海水で湿《しけ》ている船室《キャビン》の一種特別な臭《にお》いを知っているであろう。僕は出来るだけ蒲団をかけて、あすあの男に大苦情を言ってやる時のうまい言葉をあれやこれやと考えながら、また、うとうとと眠ってしまった。そのうちに、僕の頭の上の寝台で同室の男が寝返りを打っている音がきこえた。たぶん彼は僕が眠っている間に帰って来たのであろう。やがて彼がむむう[#「むむう」に傍点]とひと声うなったような気がしたので、さては船暈《ふなよい》だなと僕は思った。もしそうであれば、下にいる者はたまらない。そんなことを考えながらも、僕はまた、うとうとと夜明けまで眠った。
 船は昨夜よりもよほど揺れてきた。そうして、舷窓《まど》からはいってくる薄暗いひかりは、船の揺れかたによって、その窓が海の方へ向いたり、空の方へ向いたりするたびごとに色が変わっていた。
 七月というのに、馬鹿に寒かったので、僕は頭をむけて窓のほうを見ると、驚いたことには、窓は鉤《かぎ》がはずれてあいているではないか。僕は上の寝台の男に聞こえよがしに悪口を言ってから、起き上がって窓をしめた。それからまた寝床へ帰るときに、僕は上の寝台に一瞥《いちべつ》をくれると、そのカーテンはぴったりとしまっていて、同室の男も僕と同様に寒さを感じていたらしかった。すると、今まで寒さを感じなかった僕は、よほど熟睡していたのだなと思った。
 ゆうべ僕を悩ましたような、変な湿気の臭いはしていなかったが、船室の中はやはり不愉快であった。同室の男はまだ眠っているので、ちょうど彼と顔を合わさずに済ませるにはいい機会であったと思って、すぐに着物を着かえて、甲板へ出ると、空は曇って温かく、海の上からは油のような臭いがただよってきた。僕が甲板へ出たのは七時であった。いや、あるいはもう少し遅かったかもしれない。そこで朝の空気をひとりで吸っていた船医《ドクトル》に出会った。東部アイルランド生まれの彼は、黒い髪と眼を持った、若い大胆そうな偉丈夫で、そのくせ妙に人を惹《ひ》きつけるような暢気な、健康そうな顔をしていた。
「やあ、いいお天気ですな」と、僕は口を切った。
「やあ。いいお天気でもあり、いいお天気でもなし、なんだか私には朝のような気がしませんな」
 船医は待ってましたというような顔をして、僕を見ながら言った。
「なるほど、そういえばあんまりいいお天気でもありませんな」と、僕も相槌《あいづち》を打った。
「こういうのを、わたしは黴臭《かびくさ》い天気と言っていますがね」と、船医は得
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