非道い目に会った事も有りまして、当時は一切其の方面の女には興味を失って居る時でしたが、其の夜は奇妙な事に、十七八の素人と謂《い》う音が魔術の如《ごと》く私の婬心を昂《たかぶ》らせたのであります。十七八の素人か、悪くは無いな、だけど君達の言う事は当にならないんでね、と私は平凡な誘惑に対して平凡な答をしますと、男は慌てて吃り吃り、と、と、飛んでもない、旦那、ほ、ほんものなんでさあ、デパアトの売子なんで、……堪りゃせんぜ、あ[#「あ」に傍点]ったく、サァヴィス百パアセッ[#「ッ」に傍点]トですよ。と掻き立て乍ら相不変《あいかわらず》にやついて居ります。売子だとすると朝は早えな、と訊きますと、へえ、其処を一つ勘弁なすって、何ひょろ、もう一つ職業が有りますんで、と揉手をし乍ら答えます。忙しいこったね、と此方もにやにやし乍ら冷かしますと、男は頭を押えて、へへへへ、此奴も不景気故でさあ、お袋が病気で動きがとれねえんで、そう云う事でもしないてえと――と、答えます。私は益々乗気になって、まさか、お前さんの娘じゃあるまいね、と追及すると、相手は急に間誤間誤《まごまご》し出して、と、と、飛んでもねえ、と、ムキになって否定しましたが、不図《ふと》パセティックな調子となり、でも、沁々《しみじみ》考げえりゃあ他人事《ひとごと》じゃ御座んせん、と滾《こぼ》しました。並んで歩き乍らこんな会話を交わして居ると、知らない裡に遊廓の横門の前迄出て了いましたが、気付いて立ち止った時には私の心は其の男の案内に委《まか》せる可《べ》く決って居りました。承託を受けると男は忽然《こつぜん》欣喜雀躍《きんきじゃくやく》として、弱い灯を受けつつ車体を横《よこた》えて客待ちして居る陰気な一台の円タクを指先で呼び寄せました。嗟《ああ》、閣下よ、其の夜其の男の誘いに応じたが為に、其の行先の淫売宿で不可解な事実に遭遇し貞淑であった妻に疑惑の心を抱き始め、遂には彼女を撲殺しなければならない恐ろしい結果を導いて了ったので有ります。
男は運転手に行先を命じはしましたが、小声である為に私には聞き取れず、遠方かい、と訊きますと、いいえ、直ぐ其処です、と答える許りで、自動車は十二時過ぎの夜半の街衢《まち》を千束町の電車停留所を左に曲《カーヴ》し、合羽橋《かっぱばし》、菊屋橋《きくやばし》を過ぎて御徒町《おかちまち》に出で、更に三筋町
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